自己紹介

はじめまして、遊民と申します。この記事では当ブログの目的とカテゴリーの紹介を行います。その過程で私自身の考え方に触れることになるので、結果的にこれが(当ブログを読んでいただくうえで必要になる程度の)自己紹介になると思います。

目的

 

賃金奴隷社会に対するモヤモヤの言語化


現代社会という地獄


現代社会は豊かで進歩的で自分の人生を自由に選択できると謳われていますが、みなさんも気づいているように実際はまるで違いますね。働いて稼がないと生きていけないからです。私たちは生存を人質に労働を強いられるカネの奴隷、賃金奴隷であります。もし仮に、労働が「必要」だがみんな他人のためには何もしたくないと言ってるような状態ならこの仕組みも仕方ないかもしれません。モノ・サービスが不足しているなら、みんなで働いて生産しないと困ることになるからです。

しかし、現実はというと、モノが売れずに余っている。これには大きく分けて二つの面があります。一つは喜ばしいことで、モノを余らせることができるほど生産力が上がった、ということです。先人の頑張りのおかげで知識や生産技術が積み重ねられ、私たちはごく少数の人間で一国の人間の必要物を供給できるほどの巨大な生産力を手にしている。機械が私たちの代わりに働いてくれているわけです。

機械が働いてくれる、これは「機械に仕事を奪われる」とネガティブに表現されています。しかし、なぜ「機械に仕事を奪われる」と困るのでしょうか?大変な仕事を代わりにやってくれるなら、これほど有り難い話はないはずでは?これがもう一つの面。生産されるモノ・サービスの分配を「賃金」に限定している、ということです。過去の積み重ねや自然資源の産物であるモノ・サービスを手に入れるために、社会的に必要かどうかに関わらずとにかく「働かせていただかなければならない」。こうした狂った仕組みは、私たちに「働かない」という選択を許さない。けど生産力はどんどん向上する。雇用のイスが減る。イスにしがみつこうと低待遇を受け入れる。社会にカネが回らなくなる。賃金分配への執着が、過酷な労働とモノ余りを発生させているのです。

このバカバカしい仕組みを「現実」として受け入れてしまうせいで、「機械に仕事を奪われる」ことが「危機」になってしまい、人間にしかできないシゴトとか言って次から次へと有害無益なだけのシゴトが創出される。その結果、他人の上前をはねそれを巧みなレトリックで正当化し合う「上級奴隷」が恵まれた・守られた雇用のイスを占め、そこから弾かれた人たちは「社会的には必要だが退屈な/きつい仕事」にどんどん押しやられ、賃金が下落し、割に合わないと不満を持ちつつも、上級奴隷たちが弄する「その程度のことしかできない無能なのだから自己責任」といった「正論」で我慢させられてしまう。カネがなくてモノを買えない、精神的に余裕を持てない、将来に希望がない、こうした閉塞状態を我慢させられているのに、メディア・SNSを介して上級奴隷の優雅な生活を羨ましがる、ビジネスの心構えを拝聴する、そんなふざけ切った構図が現出しています。

私たちは誰のために、何のために働かされるのか


賃金分配(賃金奴隷制)に執着する弊害はこれだけではありません。カネとは、投票権だからです。私たちはカネを払ってモノ・サービスを購入することで、そのモノ・サービスに対する支持を表明している。いくら口では「カール大好きだったのに!(泣)」と言っても、実際に購入=投票しなければ市場から消えてしまう。逆に大多数の人間が「こんなもんいるか!」と言っても、大量に購入=投票する人がいれば繁栄する。芸術なんかはこれでいいかもしれませんが、その他のモノ・サービスでも「一握りの富裕層のため」をやられたら困りますね。つまり、それなりのカネ=投票権が平等に分配されてないと、「大衆(私たち)のための」モノ・サービスが充実していかないのですね。

さらに、労働とは「人間社会や他人の必要を満たす」ために行うものでありますが、賃金奴隷社会ではそもそもこれが許されない。なぜか?「人間」がいないからです。強制労働が支配する世界には「賃金奴隷」しかいない。会社に雇われている/いないに関係なく、みな等しく賃金奴隷。最近(2017年9月中旬)環境省が動物の「5つの自由」というパンフレットを発行しました。飢え・渇きからの自由、不快からの自由、恐怖・抑圧からの自由、本来の行動がとれる自由、痛み・負傷・病気からの自由。これは「就職したら失うものリスト」と揶揄されていましたが、しかし「就職」のための競争・準備はいつから始まるでしょうか?生活リズムの矯正、服従・協調の訓練、やりたくもない勉強の強制、授業という名の長時間拘束、嫌いな人間との共同生活・・・・・・賃金奴隷社会では「人間として生まれた瞬間に失うものリスト」なのです。

要するに、賃金奴隷社会で提供されるモノ・サービスは「人間のため」のものではなく「賃金奴隷のため」のものにならざるを得ない。提供する側がどんな素晴らしい志を持とうが、狂った仕組みがそれを許さない。これは悲劇です。ボロボロになってカネを稼ぎ、それを明日の労働に備えるために、労働のストレスを解消するために、疲労回復・癒し・健康・娯楽・薬・栄養ドリンク・酒などなどに「投票」してしまえば・・・・・・。しかもボロボロになる人たちの賃金が低く抑えられてしまったままでは・・・・・・。私たちは「人間社会や他人のため」ではなく上級奴隷のために、生存費を稼ぐために、賃金奴隷社会の維持に貢献するために、身を削り続けねばならないのです。

人間=労働者であれば、何の問題も無いかもしれませんが、みなさんはどう思いますか?結果的に「人間のため」になるモノ・サービスもたくさんあるかもしれませんが、しかし、それはあくまで結果論。はじめから「人間のため」を目指す方がいいとは思いませんか?

不条理の言語化


現代の「厳しい社会」は賃金奴隷制という狂った仕組みの成れの果てでしかないにも関わらず、「人生について真剣に考えろ!」「自分の人生に責任を持て!」などと言ってくる人たちがいます。自らの言動を省みることなく「常識」に逃げ込んでいる人たち。今の仕組みが崩壊したら、自分がやってきたことの責任など取るはずもなく、「みんなやっていた」「おかしいと思っていたが仕方なかった」と逃げるであろう人たち。そんな獄卒で溢れる社会に頼んでもないのに誕生させられた私たち。人間を辞めることを強いられる毎日。奴隷以外の人生を許さない仕組み。いつの間にか「適応」し染まっていく私たち。

他人よりうまく生きようと損得計算に明け暮れるようになり、「みんな他人のためには何もしたくない」「カネを与えないと必要な仕事さえ誰もしない」「みんなを強制的にでも労働させるから豊かになる」といった人間観や世界観を内面化している。人間不信、人心の荒廃。それでも生きようと、意味や愛に救いを求め、日々を凌ぐ。そんな不条理感や虚無感を抱えてはいませんか?

カテゴリー


考察


言葉より思考を重視して書きます。

おはなし


思考より言葉を重視して書きます。

自分のためにモヤモヤを言語化していくことで、それが結果的に同じようなモヤモヤを抱えている人の役に立てばと思います。

ベーシックインカム


あと、たまに文章の中にベーシックインカムの話が出てきます。私は、大きな生産力があって、しかもそれは過去の積み重ねや自然資源のおかげなんだから、その恩恵に与るためのカネは刷ってみんなに配れよという考えです。恵まれた・守られた雇用のイスを確保して、過去の成果や低賃金労働者に寄生し、税金補助金にたかってる奴らだけで独り占めすんなと。遺伝や環境や運や景気循環なんてものに(無駄に)生存を左右されるなんておかしいと。最近はベーシックインカムが必要かどうか議論されるようになりましたが、実はこの時点で終わってます。ベーシックインカムは「人間社会」を構築するうえで前提となる仕組みであり、これがないと「賃金奴隷の集合体」にしかならないからです。「人間」を辞めさせられたことに気づいてないから「必要かどうか?」なんて話になるのです。みんなで「人間」を辞めさせられたことに気づき、「人間」に戻りませんか?
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Aさんのモノマネ

会社にAさんという人がいました。Aさんは優秀で、与えられた仕事をきちんとこなしましたが、飲み会などにはあまり参加したがらず、社内に仲の良い友人もいませんでした。残業にも消極的で、そのため周囲からの評価はあまり高くなく、協調性の無い不気味な人だと思われていました。

そんなAさんも忘年会には参加しなければならなくなりました。飲み会の盛り上げ役的な人に、「忘年会に参加しないのはさすがにありえないよね」と何度も言われたのです。最初はAさんも断っていましたが、今後の自分の境遇を思い、一次会だけ参加することにしました。みんながワイワイ談笑しながら会場に向かう中、Aさんは一人、冷えた手をポケットに突っ込んで温めながら、トボトボと付いていきました。

一次会が半分を過ぎ、みんな酔いが回って気分が良くなってきたとき、盛り上げ役がパンパンと手を叩きながら立ち上がり、「はいはーい!みなさんちゅうもーく!」と言いました。「えー、みなさんご存知のように、我々は二次会の方で」「おーい!何やるかはまだ秘密だぞー!」「わはははは」「ハイハイ、承知しております。えー、二次会の方で「催し物」を企画しているわけですが、残念なことにAさんは諸事情により参加できないそうで、そこでどうしてもここで一席ぶたせてほしいと本人たっての強い要望がありましテ」「おお!?あのAがかぁあ~!?」「よーし、いいぞいいぞ~」盛り上げ役はAさんをみて、意地悪な笑みを浮かべました。

Aさんは困りました。そんな話、事前に何も聞かされていなかったからです。「一体どういうことか」そう問い詰めたいのは山々でしたが、既に場が大いに盛り上がってしまっていたので、Aさんは諦めて腹を括り、色々な動物のモノマネをしました。Aさんは幼い頃から動物が好きで、暇があれば動物がいる所に出かけていき、声やしぐさをマネしていました。Aさんは動物と話がしたかったのです。そのためまさに変幻自在。モノマネは無事笑いにつながり、その場を切り抜けることができました。盛り上げ役は「やればできるじゃねーか」と言って、面白くなさそうに笑うと、さっさとみんなの中に戻っていきました。

忘年会をきっかけに、Aさんはしつこく飲み会などに誘われるようになりました。たくさんの人が「Aさんがいないと」と言うので、簡単には断れなくなっていました。動物のモノマネを何度も何度も求められました。毎日のように、同じように、Aさんはモノマネをしました。「もう一回!もう一回!」と何度も何度もせがまれ、Aさんはモノマネをしました。Aさんは「みんなの人気者」になりました。トボトボと歩いていって、嫌がるそぶりも見せず、ニコニコと、モノマネを繰り返しました。

ゴールデンウィークが終わると、Aさんは会社に来なくなりました。連絡もありませんでした。最初はみんな「Aさんにもこういうことがあるんだな」と軽く考えていましたが、無断欠勤が数日続くとさすがにおかしいと思うようになりました。上司がAさんにいくら電話しても、一向に応答がないのです。仕方なくAさんが住むマンションの管理人に連絡を取り、Aさんの部屋のドアを開けてもらいました。Aさんは死んでいました。遺書らしきものには「仲良くしてくれたのにごめん」とだけ書かれていました。

Aさんの葬式の帰り道、会社のみんなは残念がりました。「せっかく仲良くなれたのに、なんで自殺なんか」「Aさん、みんなに謝るぐらいならどうして相談してくれなかったんだろう」・・・・・・暗い雰囲気が嫌になったのか、「Aさん、楽しくお酒を飲むのが好きだったから、みんなで飲みに行こうよ」と誰彼ともなく言い出しました。「よーし、飲むか!」「うん、Aさんのために飲もう!」お酒のおかげで暗い雰囲気はすっかりなくなり、みんな二次会の店に向かって歩きだしました。すると、盛り上げ役が唐突にみんなの前に走り出て、「Aさんのモノマネ!」と言いながら、Aさんが一人でトボトボ歩く姿をマネしました。「似てる!似てる!」「さすがに不謹慎っしょ~」みんな笑っていました。


君たちは「自由」である

君たちは「自由」な社会に生まれました
抑圧的な束縛から解放された「自由」な社会に生まれました
絶えざる闘争の結果諸々の権利が保証された「自由」な社会に生まれました
おめでとう

君たちは「自由」に仕事を選ぶことができます
昔は「家」や「身分」で仕事が制限されていましたが
今は「自由」に仕事を選ぶことができるのです
君たちは自分の才能を「自由」に成長させ
「自由」に仕事を選び、「自由」に生活することができます

君たちは「自由」に結婚相手を選ぶことができます
昔は「家」や「身分」で相手が決められていましたが
今は「自由」に相手を選ぶことができるのです
君たちは自分を「自由」に磨き
「自由」に恋愛し、「自由」に結婚することができます

君たちは「自由」に主張することができます
昔は「自由」も「権利」もありませんでしたが
今は「自由」に主張することができるのです
君たちは見識を「自由」に広め
「自由」に「権利」を主張し、「不自由」から身を守ることができます

なんて、そんなよくできた話あるはずないのに
「自由」!「自由」!「自由」!「自由」!
括弧つきの「自由」を前に、あんたは大喜びで踊り出し、思う壺
小手先の、些末な、滑稽な「自由」に浮かれ、自由を失ったことにも気が付けないまま

あんたは孤独になった
「自由」に仕事を選ぶにはどうすればいいか
「自由」に結婚相手を選ぶにはどうすればいいか
「自由」に選択し、「自由」に主張し、「自由」に生きるには
どうすればいいか
あんたのセカイにはもう誰もいない

あんたは「愛」で誤魔化した
「愛」されたい?「愛」したい?
自分が「自由」に選んだ相手と「愛」し合いたい?
「愛」があれば、どんな困難も乗り越えられる?
誰もいないセカイで
いったいどうやって愛し合うのか

あんたはわかりあえなくなった
言葉を介してとか、対話を通してとか、順番が逆なのに、もう戻れない
「自由」と「権利」に伴う不愉快な音ももうきこえないか
それとも勝利のファンファーレと条件付けられ
倒錯的で虚ろで自分の首を絞めるだけの観念を崇めるか
理解は不協和、進歩は退歩、そんな倒錯に執着する倒錯

さてさて、世界の次元について、あんたは全く意味不明のご様子で
とっても大切な「自由」を貶められたとしか感じられずに
また独りぼっちで頑なに、「自由」なセカイに引きこもる
本能が壊れ、自分しかいない巣をひたすら拡張し続ける蟻のように

働かなければならない、子供を残さなければならない
生存とメンツと孤独がむき出しになった強迫観念
明日も早く起きなければならない、次はこれをしなければならない
そこは誰もいないあんただけのセカイ
不自由になるばかりの「自由」に恵まれ
たのしいコンテンツもたくさんあるけど
そこは単純で、画一的で、野蛮で、孤立したセカイ
審級は神様?会社様?世間様?
なんにせよ、そこにあるのは虚像との服従(縦)関係のみ

「自由」なセカイと引き換えに、世界を失ったことにも気が付けないまま
きょうかぁん、きょうかぁん、きょうかんきょうかんきょうかん
所詮はたのしいコンテンツ
言葉の次元でちょっと触れ合った気になるだけで、誰も共に生きてはいない
鏡像に語りかける他打つ手無しゆえのやぶれかぶれ
なのに「人間らしさ」だなんて(笑)

けれど、あんたは正しいよ
目先の「自由」に憧れ、世界を捨ててまで手に入れた「自由」なセカイ
みんな平等に賃金奴隷になっただけであります
とはいえ、あんたは正しいよ
その愚かさこそが「人間らしさ」なのだから、というたのしいコンテンツ
「自由」を消費する代償に悶え苦しみ、耐え難くとも
「自由」のためには仕方ないなぁと独り託つだけで(自由に代償など無いのだが)
掌に燻る思い握り潰し(したがって!何かが変わる道理などなく)
慰め合い(しかし所詮は「自由」に属するたのしいコンテンツでしかない)
日々を凌ぐ(今日も明日も明後日も、来週も来月も来年も・・・・・・)

君たちは「自由」である
ありがたや、ありがたや
今日も「自由」の泥水を啜る


「わたし」がいなくなった世界

トラックにはねられる瞬間までは覚えている。買い物の帰り、調子に乗って自転車を猛スピードでとばしていたら、ビニール袋が前輪に絡まり、そのままの勢いで私は前に放り出された。視界の片隅に捉えたトラック、遠くからでも近くからでもない曖昧な轟音。気が付くと、時は夕暮れ時、こうして近所の公園のブランコに座っていた。

家の方に歩いていく女性をみると、私の母親だったので、近づいて声をかけたら、「どちら様ですか?」と言われた。実の親を間違えるはずがない、私は食い下がる。しかし、私の母親であるはずの人間は、「あなたのような人は知らない」の一点張りだった。「確かにあなたと同い年ぐらいの子供はいますけど・・・・・・」母さん私だよ!世界で一番愛していると言ってくれたじゃないかあれは嘘だったの!?母さん・・・・・・「一緒に警察にいきましょうか?」困惑の色を浮かべた顔をみて、私は諦め、今幸せですか?と尋ねた。「ええ、とっても。あの子が私の子供で本当に良かったと思っています」地面が消滅し、私は落ちていった。

私は会社の前にいた。私の将来に期待してくれた会社。進行中のプロジェクトでは、チームのリーダーを任され、9人の仲間をまとめる役割を与えられた。「この仕事は君にしかできない」と言ってもらえて、私は本当に嬉しかった。「いやぁ、この仕事は君にしかできないよ!」「ほんと、先輩がリーダーで良かったですよ!」どこかで聞いたことのある声。会社から何人かの社員が出てきたようだ。1、2、3・・・・・・11?チームのメンバーと、私によくしてくれた上司と・・・・・・あいつは?地面が消滅し、私は落ちていった。

恋人の家の前にいた。学生時代から付き合っていて、どちらかの仕事が軌道に乗ったら結婚をと考えていた。元気?会社帰りの恋人に声をかけたら、「どちら様ですか?」と言われた。なに、要するに、別れようってこと?「え?別れるもなにも、あなた誰なんですか?」恐怖の色を浮かべた顔を見て、私は諦め、学生時代から付き合っている恋人がいませんか?と尋ねた。「なんで知ってるんですか?」どんな話でも最後まで黙って聞いて受け入れてくれる所が好き?「警察に通報します!」地面が消滅し、私は落ちていった。

暗闇の中で私は思った。「代わり」はいくらでもいるし、「穴」はいくらでも埋められる。「私なんていてもいなくてもいい」と言って、「そんなことない!」と否定してもらえても、それは喪失や損失を想像するからで、「そもそもの初めからいなかった場合」と比較できないいじょう実際の所はわからない。私と同じかあるいはそれ以上の機能を果たす「代わり」が「穴」を埋めてくれさえすれば、それでいいのかもしれない。じゃあみんなの言葉は何だったのか?そう思うのも尤もだが、私はきっと本物だったと思うし、意味もあったと思う。私も同じようなことを言うとき、本心からそう思っているし、この気持ちが伝わればいいなと願っているから。

目の前に母親の顔が浮かんだ。職場の人たちの顔が浮かんだ。恋人の顔が浮かんだ。みんなニコニコ笑っている。「実はね、うちには子供がいないんですよ。世間では子供を幸せの象徴のように言いますけど、子供がいなくても十分幸せだし、むしろいなくて良かったと思います」「わはははは!いやぁ、仕事が減って早く帰れるようになったな!きっとどこかに無駄な仕事があったんだろうねぇ」「結局、自分は独りが合ってるんだなぁ。たとえどんなことでも話せたとしても、他人は他人。返ってくる言葉もどうせ正論でしかないんだから、独りの方が気楽でいいやぁ」みんな、とても幸せそうに、笑っていた。「代わり」や「穴」と表現してしまうことが既に傲慢なのかもしれない。「わたし」という存在が占めていた「場」は、本当は・・・・・・私は目を閉じた。

気が付くと、時は夕暮れ時、こうして近所の公園のブランコに座っていた。私の母親であるはずの人間が歩いていたので、私はじっとみつめた。向こうも視線に気づいたのか、私をみつめた。目が合った。私の母親であるはずの人間はすぐに目を逸らし、家に向かって歩いていった。私はすっかり暗くなるまで、一心不乱に自分の手をみつめ続けた。それでも、私はここに在る。私は私に言い聞かせるように呟くと、立ち上がり、家とは反対の方に向かって歩き始めた。


誰にでもできる仕事

「誰にでもできる仕事って、なに?」

「う~ん、たとえば・・・・・・なんて言ったら怒られるよ」

「どうして怒られるの?」

「バカにされていると感じるからじゃないかな。実際、相手をバカにする意図でその言葉を使う人もいるみたいだし」

「どうして「誰にでもできる仕事」で誰かをバカにできるの?」

「その人の代わりはいくらでもいるってことだからじゃないかな」

「代わりがいることは悪いことなの?」

「今の世の中はね、誰もがかけがえのない一人ですって建前になってるからね」

「仕事においても、それはあなたにしかできないかけがえのない仕事なんですよってわけ?」

「そういうことじゃないかな」

「おかしいよ」

「どこが?」

「仕事って他人や社会の必要を満たす活動でしょ。その必要性が大きければ大きいほど、「誰にでもできる」ようになってなきゃ困るじゃん。かけがえのない仕事をやってる人がいなくなったら、どうするのさ?」

「そうは言っても現代人にとってのアイデンティティは職業なんだから」

「「アイデンティティ」ってなに?」

「現代社会ではね、お仕事は何をされてますか?が挨拶なんだよ」

「そうやって相手を値踏みするんだね」

「そうだよ。無職と応えればその瞬間に君は「最下層」に位置づけられて見下され、一流企業の名前を出せば一瞬で全てにおいて上に立てる、これが現実なんだ」

「「かけがえのない仕事」と「アイデンティティ」、関係ないじゃん」

「おおありだよ。それじゃあ、社名や収入で「下」になってしまった人にどうやってその境遇を我慢させればいいのかな?」

「なんで我慢させる必要があるの?」

「そうしないと社会が回らないからさ」

「それでみんな我慢してしまうの?」

「働かないと生きていけないからね」

「そのせいで仕事がカネ稼ぎの手段でしかなくなって、カネの源泉を占有したいという志向が生じ、自分にしかできないとかアイデンティティとか言うんじゃないの?」

「確保したイスを「自分のモノ」にするためには、まあ、当然「自分にしかできない」ってことにしたいよね。けど、それよりメンツとか代償って面の方が大きいと思うよ。たとえば「上」になった人たちに向かって「その仕事は誰にでもできる」って言ったところで、ダメージないでしょ」

「「上」の人たちは「誰にでもできる仕事」ではない仕事をしているの?」

「スキルが必要なのは確かじゃないのかな」

「その「スキル」って最終的に他人や社会の必要を満たすことに貢献するスキルなのかな?」

「さぁ、どうだろうねぇ」

「低賃金は「スキルがないから」で我慢させられるし、高賃金は「スキル」で正当化されている。けどこの「スキル」って本当に必要なのかな?言葉や数字を巧みに操ったり、難解な書類を作成したり読んで理解したり、スマートにプレゼンしたり、うまく売り込んだり、人を管理したり、確かにどれも高い知能がないと身に付かない「スキル」だろうけど、これらは必要を満たすことに貢献しているのかな?それとも恵まれたイスを守るヴェールにすぎないのかな?」

「どっちだろうねぇ、うん、現実の組織はとても複雑だから、どちらかにはっきりさせるのは無理だと思うけど」

「多分本人が一番よくわかっていることだと思うけど」

「確かに彼らの仕事の中には不要な仕事、有害なだけの仕事、実は誰にでもできる仕事もたくさんあるだろう、いや、むしろそういう仕事が大半を占めてさえいるかもしれない。しかし現実は、彼らが社会を回してることになってるんだよ。彼らはこの社会の頭脳なのさ」

「「彼ら」ではなく「仕事」でしょ、「彼ら」ではなく「イス」でしょ。大切なのは「人」ではなく「イス」の方でしょ」

「そうだったね。だからちゃんと「イス」を守らなきゃいけない」

「うん、学歴経歴年齢スキルに規制補助金、エリート同士の人間関係、そうやってちゃんと守られてないとね。ところで、足切された人たちはどうなるのだろう?」

「「(守られてないから)誰にでも(アクセス)できる仕事」をするのだろうね。現実的に手厚く守られない代わりに、個々人でせめてものプライドを守ろうとする、「責任が重くて誰にでもできる仕事じゃない」と怒ったり、「○○になるには合格率x%の資格が必要なんですよ!」と「○○の凄さ」を互いに称え合ったり、ね。時に現実的にも守ってもらおうと、補助金のおこぼれに与るための政治的ムーブメントを起こしたり、賃上げを訴えたりするけど、結局は何も変わらない。その何も変わらない、大変さや責任の重さに対し報われなさばかりが残る雇用のイスに、それでも人が来て、我慢してまで留まろうとする。「誰にでもできる仕事」の賃金が上がらない理由が何であれ、事業が継続できる程度には人が集まるんだから、賃金が上がる理由がない。誰にでもできる仕事じゃない?資格が必要?生きていけない?だから何?」

「開き直りすぎだよ」

「君が望む回答をしてあげたのさ。なぜか?それでもみんな賃金奴隷制を肯定するからだよ!何によっても守られていない、孤独で剥き出しの奴隷としてピラミッド内の「競争」に取り込んでしまえば、「全員で助かる」ことより「自分だけ守られる」ことを考えるようになるのさ」

「この仕組みを受け入れて自分だけ守られようとした時点で・・・」

「そうだね。ただ残念ながら現実的に守られることは絶対にない。だって、アクセス権が既に無いのだからね!なのに連中の頭の中には「選択肢」しかないんだ。その「選択肢」の下に積み重なった無数の不可能を、屍となった未来を、見ようとしない。自分がいかに守られることのない存在かわかろうとしない。賃金奴隷制の重圧がそう認識するだけの余裕を奪うからかな?」

「だったらなおのこと賃金奴隷制を・・・」

「しかし自明性を獲得した生き方を、今更変えることもできない。そんな連中にとって、大切なのは「これから」ではなく「今まで」だろ?未来より過去、つまりこの仕組みの肯定と継続だろ?「賃金奴隷制」だの「上級奴隷に搾取されている」だの、何の救いになる?え?だったらせめてアイデンティティやプライドだけは守ってあげないといけないだろ?つらいのに頑張ってますね、あなた方が頑張ってくれるおかげで社会が回るのです、感謝していますよ、社会的に有意義なお仕事じゃありませんか、みなさんは正しいことをしている、国民としての義務をしっかり果たしている、現実を見て生きている、人間として成長している、家族を養って立派じゃありませんか、自立して偉いですね、もっと賃金が上がらないといけませんね・・・・・・。守られない者のニーズは満たされる、守られるべきイスはしっかり守られる、みんなハッピー!一体何を変える必要があろうか?」


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Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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