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自己紹介

 はじめまして、遊民と申します。この記事では当ブログの目的とカテゴリーの紹介を行います。その過程で私自身の考え方に触れることになるので、結果的にこれが(当ブログを読んでいただくうえで必要になる程度の)自己紹介になると思います。

目的

 

賃金奴隷社会に対するモヤモヤの言語化


現代社会という地獄


 現代社会は豊かで進歩的で自分の人生を自由に選択できると謳われていますが、みなさんも気づいているように実際はまるで違いますね。働いて稼がないと生きていけないからです。私たちは生存を人質に労働を強いられるカネの奴隷、賃金奴隷であります。もし仮に、労働が「必要」だがみんな他人のためには何もしたくないと言ってるような状態ならこの仕組みも仕方ないかもしれません。モノ・サービスが不足しているなら、みんなで働いて生産しないと困ることになるからです。

 しかし、現実はというと、モノが売れずに余っている。これには大きく分けて二つの面があります。一つは喜ばしいことで、モノを余らせることができるほど生産力が上がった、ということです。先人の頑張りのおかげで知識や生産技術が積み重ねられ、私たちはごく少数の人間で一国の人間の必要物を供給できるほどの巨大な生産力を手にしている。機械が私たちの代わりに働いてくれているわけです。

 機械が働いてくれる、これは「機械に仕事を奪われる」とネガティブに表現されています。しかし、なぜ「機械に仕事を奪われる」と困るのでしょうか?大変な仕事を代わりにやってくれるなら、これほど有り難い話はないはずでは?これがもう一つの面。生産されるモノ・サービスの分配を「賃金」に限定している、ということです。過去の積み重ねや自然資源の産物であるモノ・サービスを手に入れるために、社会的に必要かどうかに関わらずとにかく「働かせていただかなければならない」。こうした狂った仕組みは、私たちに「働かない」という選択を許さない。けど生産力はどんどん向上する。雇用のイスが減る。イスにしがみつこうと低待遇を受け入れる。社会にカネが回らなくなる。賃金分配への執着が、過酷な労働とモノ余りを発生させているのです。

 このバカバカしい仕組みを「現実」として受け入れてしまうせいで、「機械に仕事を奪われる」ことが「危機」になってしまい、人間にしかできないシゴトとか言って次から次へと有害無益なだけのシゴトが創出される。その結果、他人の上前をはねそれを巧みなレトリックで正当化し合う「上級奴隷」が恵まれた・守られた雇用のイスを占め、そこから弾かれた人たちは「社会的には必要だが退屈な/きつい仕事」にどんどん押しやられ、賃金が下落し、割に合わないと不満を持ちつつも、上級奴隷たちが弄する「その程度のことしかできない無能なのだから自己責任」といった「正論」で我慢させられてしまう。カネがなくてモノを買えない、精神的に余裕を持てない、将来に希望がない、こうした閉塞状態を我慢させられているのに、メディア・SNSを介して上級奴隷の優雅な生活を羨ましがる、ビジネスの心構えを拝聴する、そんなふざけ切った構図が現出しています。

私たちは誰のために、何のために働かされるのか


 賃金分配(賃金奴隷制)に執着する弊害はこれだけではありません。カネとは、投票権だからです。私たちはカネを払ってモノ・サービスを購入することで、そのモノ・サービスに対する支持を表明している。いくら口では「カール大好きだったのに!(泣)」と言っても、実際に購入=投票しなければ市場から消えてしまう。逆に大多数の人間が「こんなもんいるか!」と言っても、大量に購入=投票する人がいれば繁栄する。芸術なんかはこれでいいかもしれませんが、その他のモノ・サービスでも「一握りの富裕層のため」をやられたら困りますね。つまり、それなりのカネ=投票権が平等に分配されてないと、「大衆(私たち)のための」モノ・サービスが充実していかないのですね。

 さらに、労働とは「人間社会や他人の必要を満たす」ために行うものでありますが、賃金奴隷社会ではそもそもこれが許されない。なぜか?「人間」がいないからです。強制労働が支配する世界には「賃金奴隷」しかいない。会社に雇われている/いないに関係なく、みな等しく賃金奴隷。最近(2017年9月中旬)環境省が動物の「5つの自由」というパンフレットを発行しました。飢え・渇きからの自由、不快からの自由、恐怖・抑圧からの自由、本来の行動がとれる自由、痛み・負傷・病気からの自由。これは「就職したら失うものリスト」と揶揄されていましたが、しかし「就職」のための競争・準備はいつから始まるでしょうか?生活リズムの矯正、服従・協調の訓練、やりたくもない勉強の強制、授業という名の長時間拘束、嫌いな人間との共同生活・・・・・・賃金奴隷社会では「人間として生まれた瞬間に失うものリスト」なのです。

 要するに、賃金奴隷社会で提供されるモノ・サービスは「人間のため」のものではなく「賃金奴隷のため」のものにならざるを得ない。提供する側がどんな素晴らしい志を持とうが、狂った仕組みがそれを許さない。これは悲劇です。ボロボロになってカネを稼ぎ、それを明日の労働に備えるために、労働のストレスを解消するために、疲労回復・癒し・健康・娯楽・薬・栄養ドリンク・酒などなどに「投票」してしまえば・・・・・・。しかもボロボロになる人たちの賃金が低く抑えられてしまったままでは・・・・・・。私たちは「人間社会や他人のため」ではなく上級奴隷のために、生存費を稼ぐために、賃金奴隷社会の維持に貢献するために、身を削り続けねばならないのです。

 人間=労働者であれば、何の問題も無いかもしれませんが、みなさんはどう思いますか?結果的に「人間のため」になるモノ・サービスもたくさんあるかもしれませんが、しかし、それはあくまで結果論。はじめから「人間のため」を目指す方がいいとは思いませんか?

不条理の言語化


 現代の「厳しい社会」は賃金奴隷制という狂った仕組みの成れの果てでしかないにも関わらず、「人生について真剣に考えろ!」「自分の人生に責任を持て!」などと言ってくる人たちがいます。自らの言動を省みることなく「常識」に逃げ込んでいる人たち。今の仕組みが崩壊したら、自分がやってきたことの責任など取るはずもなく、「みんなやっていた」「おかしいと思っていたが仕方なかった」と逃げるであろう人たち。そんな獄卒で溢れる社会に頼んでもないのに誕生させられた私たち。人間を辞めることを強いられる毎日。奴隷以外の人生を許さない仕組み。いつの間にか「適応」し染まっていく私たち。

 他人よりうまく生きようと損得計算に明け暮れるようになり、「みんな他人のためには何もしたくない」「カネを与えないと必要な仕事さえ誰もしない」「みんなを強制的にでも労働させるから豊かになる」といった人間観や世界観を内面化している。人間不信、人心の荒廃。それでも生きようと、意味や愛に救いを求め、日々を凌ぐ。そんな不条理感や虚無感を抱えてはいませんか?

カテゴリー


考察


このようなシャカイのおはなし。

おはなし


どうしようもない人生のおはなし。

自分のためにモヤモヤを言語化していくことで、それが結果的に同じようなモヤモヤを抱えている人の役に立てばと思います。

ベーシックインカム


 あと、たまに文章の中にベーシックインカムの話が出てきます。私は、大きな生産力があって、しかもそれは過去の積み重ねや自然資源のおかげなんだから、その恩恵に与るためのカネは刷ってみんなに配れよという考えです。恵まれた・守られた雇用のイスを確保して、過去の成果や低賃金労働者に寄生し、税金補助金にたかってる奴らだけで独り占めすんなと。遺伝や環境や運や景気循環なんてものに(無駄に)生存を左右されるなんておかしいと。

 最近はベーシックインカムが必要かどうか議論されるようになりましたが、実はこの時点で終わってます。ベーシックインカムは「人間社会」を構築するうえで前提となる仕組みであり、これがないと「賃金奴隷社会」にしかならないからです。ベーシックインカムは「雇用のイス」を介して生産力に寄生し確保したカネの「再分配」でも「社会保障」でもなく、「共同体内における機械・技術・インフラの蓄積あるいはそれらの進歩の恩恵を正当に成員に分配する」ためのものです。「カネを配れ」といっても主眼は「カネ」ではなく「進歩の恩恵」です、カネを配るのはそれらと交換できるからにすぎない。まずは「カネ」と「進歩の恩恵」を分離してください。「カネ」に支配され、「カネ」が意識の中心になっているのに、「カネ」の奴隷である自覚さえ持てなくなっているから、「財源」とか「再分配」とかそういう話になるのです。「人間」を辞めさせられたことに気づいてないから「必要かどうか?」なんて話になるのです。みんなで「人間」を辞めさせられたことに気づき、「人間」に戻りませんか?

尊さは余裕の上に成り立つ

 最近、“同居孤独死”という言葉を知った。親と一緒に暮らしているのに、親が死んだことに子供が気づかず、そのまま放置してしまったり、気づいた後にも逮捕されるのが嫌で、親の部屋の前に芳香剤を置いて凌いで結局バレて捕まったり。子供は「申し訳ない」とか「余裕がなかった」とか言っていたけど、多分「あ~あ」と思ったんじゃないか。私が同じ立場に置かれたら、一応口では「申し訳なかった」と言うけど、本心ではそう思わないと思う。

 さすがに芳香剤を置いて放置したりはしないだろうけど、「実の親なのに!」といった非難には全然同調できないし、そう言われても、だから?としか言いようがない。普通に生きてりゃ嫌でもわかるように、世の中に“尊敬できる人間”なんてほとんどいない。なのに自分の親が“尊敬できる人間”だなんて、そんな都合のいい話はない。尊敬“さえ”できないなら、仮に育ててもらった感謝の気持ちがあったとしても、一日一日一瞬一瞬ガシガシ削られて薄れていくし、そのうち「こんな奴のために人生が奪われる」「さっさと死にやがれ」といった憎悪や敵意も芽生える。

「もう耐えられないからさっさと死んでくれよ」と疎ましく思うようになったり、死んでも「あーこれでようやく終わりだよかったなぁ」「手続きとかたくさんあってクソだるいなぁ」と思うようになったり、そうなったらみんなが不幸なのだから、そうなる前に手を打つべきだし、打てる手を増やすべき。そこで道徳や法律で押さえつけたって、一方的な我慢・ストレスや犯罪にしか結びつかない。“同居孤独死”にまで至るのは少数だろうけど、“そこまではいってない”というだけの家庭や、早く終わってくれと願っている家庭はたくさんあると思う。

 ぶっちゃけ親の面倒なんて見たくないよね。肉体も衰え、気力もなくなり、やることがなく、テレビや動画サイトを見てるだけで、メシが出てくるのは当たり前みたいな態度で、「そんなに暇なら働けば?」とか言いたくなるような状態になったら、早く死んでくださいと願うしかない。嫌いになっちゃうよね。病気の治療とかリハビリとか、若い人たちの人生や限られた資源を費やしてつくった時間の使い道がそれ?って話。人生の時間の移転ですよ。そうやってつくった貴重な自由時間で、何かそれに値するやりたいことでもあるならともかく、特に無いなら安楽死サヨナラが最善でしょ。周りにとっても当人にとっても社会にとっても。

「親の面倒は子供が見るべき」「尊い命が一番大事」みたいな道徳、さっさと捨てた方がいい。「長生きしようね!」とかやめた方がいい。人の世話や一緒の生活には時間も使うし、気も使う、カネも使うし、もちろん体力だって使う。やる方としては、“それでも”と思える何かがないと、やってらんなくなるのは当たり前。だからコレってやる方の問題というより、やってもらう方の問題で、要するに魅力や価値が無いのだから、どうしようもない。それを道徳や法律で押し付けたって、キレイなコトバで誤魔化したって、実際にやる人を追い込んで無意味に消耗させるだけ。人生の時間とエネルギーが移転され、そのままドブに流れていくだけ。

「賃労働して自立して生きる」ことが目的化し、“家族”と“幸せ”のイメージは、過渡期を乗り切るための方便ではなく、この設定を続けるための個人的な目的と化している。そんな中で繁殖して家庭をつくったいじょう、義務・責任が発生しているのは常識的に親の方なのだから、子供の方には面倒を見る義務も責任も無いだろう。私は育ててもらった恩を感じていないわけではないが、返す恩は無いと思うし、その必要も感じていない。なんかさっきから「私は我慢とか一切したくないので親にはうまく死んでほしい」という願望を正当化しているように感じるだろうが、そうだよ。親の面倒なんて見たくないし、私自身もムリと思ったらさっさと死んで終わりたいので。実際みんなそうでしょ?人生かかってるんだから本音でいこうや。

 マジメな話、「親を大切にしよう!」的な価値観を大切にしたいなら、さっさと安楽死を導入すべきだよ。現実的な基盤といざという時の選択肢が無いなら、道徳なんてただのクソ。子供の側にいくらそういう心掛けがあっても、現実の苦痛はいとも簡単にそんなもん飲み込むからね。親への無関心や敵意・憎悪だって、基本的にそうなりたくてそうなってるわけじゃないし、どっかにプラスからマイナスに変わったポイント(気分よく終われた可能性)はあっただろう。「尊い命」的なカタチだけのしょうもない道徳で首をしめ合うより、極端なケースに名前を付けて社会“問題”にしてダラダラ先延ばしにするより、ちゃんと悲しめるうちに死んでもらう=ちゃんと悲しんでもらえるうちに死ぬことを考えるべきだと思う。


適応できないなら仕方ない

「あ~あ、働きたくないなぁ」

「ふーん、働きたくない?だったら、働かなければいいじゃないですか。誰も止めませんよ」

「でも、働いて賃金を稼がないと生きていけないからなぁ」

「まぁそれは仕方ないんじゃありませんか?」

「というと?」

「働かないということは、社会に貢献していない、ということ。だったら、まぁ仕方ないでしょう?」

「役に立たない奴は死ね的な話ですか?」

「別に死ねとは言ってませんよ。でも、社会に貢献しない、カネが手に入らない、これは仕方ないでしょう?」

「あ~あ、やってらんないなぁ、毎日早起きするのしんどいなぁ」

「早起きがしんどい?君ねぇ、そんな甘えたこと言って、社会人として恥ずかしくないの?早起きするのが嫌なら、早起きしなくてもいい仕事に就く努力をすべきでは?」

「あ~あ、やりたくもないことをやるために、頭を下げて働かせていただくなんて、アホらしくてやってらんないなぁ」

「やりたいことを仕事にすればいいだけだし、頭を下げたくないなら起業すればいいだけの話でしょう?」

「やっぱり役に立たない奴は死ね的な話ですか?」

「違います、社会に適応できない人が死ぬのは仕方ない、ということです」

「でも、やりたくないものはやりたくないし、起きたくない時間は起きたくない時間だし、関わりたくない人は関わりたくない人ですよ」

「だから、適応できないなら仕方ないんですよ。好きなことしか頑張れない、受験勉強など嫌なことはやりたくない、コミュニケーションが苦手、ビジネスが下手、なら、仕方ないでしょう?社会が求める人間になれないんだから、ね?」

「働きたくない、ずっと好きなゲームをやって生きていきたい」

「ずっとゲームがやりたいなら、プロになるなり、それでカネを稼ぐ方法を探せばいいでしょう」

「どうやってカネを稼ぐかとか、極力つまらないことを考えずに、自由に、好きに、ゲームをやって生きていきたい」

「あのねぇ、人に一方的に働かせて、自分だけ楽をしようなんて、そんな話は通らないんですよ」

「あ~あ、みんなでみんなが楽になることを目指して、技術をどんどん進歩させるように、働くことができたらなぁ」

「君はさっきから自分のことしか考えていませんね。そうやって仕事を奪ったりなんかしたら、誇りや生きる意味を傷つけられて、生きていけなくなる人たちが出てくるでしょう」

「そうなんですか?」

「こんな簡単なこともわからない?はぁ、毎日汗水たらして一生懸命働いてきたのに、その仕事を奪われて、どうしていいかわからず途方に暮れる人々の恐怖と絶望が、想像できませんか?生きがいや承認を失った人たちは酒や麻薬に溺れ、何もやることもなく廃人のようにただ死を待つしかないでしょう」

「でも、社会に適応できない人が死ぬのは仕方ない、そういう話でしたよね?」

「だから、当たり前ですよね?社会に適応できないならそりゃ仕方ないでしょ」

「なんでこの場合は仕方なくないんですか?」

「・・・・・・え?」

「え?」


その後どうなるんですか?

「君は無職で日々無為に過ごしているらしいけど、将来を真剣に考えたりしないの?」

「その後どうなるんですか?」

「は?そりゃあ、将来を真剣に考えたら、普通は就職活動をするだろうね」

「その後どうなるんですか?」

「君ねぇ、社会に出るのがこわいのはわかるけど、ずっと働いていないんだから、当然最初はアルバイトからだよ」

「その後どうなるんですか?」

「正社員を目指すことになるだろうね。うん、そうすべきだよ。社会人としてきちんと成長して、正社員にならないと、何も始まらないんだからね」

「その後どうなるんですか?」

「正社員になったら、ようやく自立した生活を送れるようになるんだ」

「その後どうなるんですか?」

「自立することによって、自分の家庭を持つ条件が整ったんだから、当然結婚を目指すことになるだろうね」

「その後どうなるんですか?」

「結婚したら、待望の子供だよ」

「その後どうなるんですか?」

「君ねぇ、何のためにここまで頑張ってきたんだと思う?子供だよ、子供?これ以上ない幸せじゃないか!たとえば休日のショッピングモールなんかに行ってみなさいよ、楽しそうに笑う幸せ家族がいっぱいだ!羨ましいだろう?その後どうなるかなんて聞くまでもない、これで君もようやく幸せになるんだよ!」

「その後どうなるんですか?」

「小さな子供と一緒に楽しく遊んで、最高じゃないか!それで「お仕事頑張って」とか言われてさ、やっぱり子供のために働くのが一番の幸せなんだろうね」

「その後どうなるんですか?」

「だから、幸せになるんだよ」

「“幸せ”になって、その後どうなるんですか?」

「幸せになったら、もっと幸せに?あれ?」

「子供には自立してもらわないと困るんですよね?だったら、受験とか習い事とか、諸々の教育とか、やるべきことというか、様々なコストというか、支払い続ける義務のようなものが残るんですけど、その後どうなるんですか?」

「そりゃあ、やるべきことをやって、支払い続ける義務のようなものを果たしていくことになるだろうね」

「その後どうなるんですか?」

「え?そりゃあ、支払い続けるためには、こっちも働き続けないといけないわけだから、子供には何が何でも自立してもらわないと困る。受験や就職活動を頑張ってもらわないといけない」

「これからどんどん厳しくなっていくらしい社会で、その後どうなるんですか?」

「きっとうまくいく、うん、うまくいく、だって自分の子供なんだから・・・・・・」

「その後どうなるんですか?」

「うまくいくので老後に備えてお金をためることにします」

「その後どうなるんですか?」

「全部落ち着いたら、趣味を楽しむなど、穏やかな時間を過ごします」

「その後どうなるんですか?」

「その後もクソもないよ!こうやって正しい人生を正しく送ったんだから、そのことを誇りにすべきじゃないかね?」

「それが何なんですか?」

「・・・・・・え?」

「え?」


お気持ちな問題にしちゃおう

問題を解決するには
現実を受け入れる必要があるから
かわいい自分が大切で
いやになっちゃう時には
一生懸命“被害者”になって
全部お気持ちな問題にしちゃおう
心に寄り添ってもらえば
その場その時の思いつきを実現してもらえば
今、気持ちよくなれるんだ
世界は腐っていくけどね

問題を解決するには
問題を認識する必要があるから
頭の悪い自分が大切で
めんどうになっちゃう時には
一生懸命“守るべき弱者”になって
全部お気持ちな問題にしちゃおう
無条件に肯定してもらえば
思いつきの“権利”を増やしてもらえば
今、気持ちよくなれるんだ
誰かが割を食わされるけどね

問題を解決するには
自分と他人を区別する必要があるから
正しい自分が大切で
苦しくなっちゃう時には
一生懸命自分の中に引きこもって
全部お気持ちな問題にしちゃおう
やさしく共感してもらえば
思いつきの“悪者”を倒してもらえば
今、気持ちよくなれるんだ
自分も未来も沈んでいくけどね

「昔の人々と違い、現代人には自分を認識し表現する言葉がある」
といった文章をみた時
あぁ、なるほどと思った
たくさんの言葉があっても
大半のヒトにとっては無いのと同じだから
結局、高度な文明社会に生きていても
現代人は昔の人々と同じように
暗闇の中をデタラメにさまよっているだけ
何もわからない
から
何も変わらない
テクノロジーが進歩して安全になった
その分だけ
自分たちの首をしめないといけない
なんて決まりはないけど
全部お気持ちな問題にしちゃおう

共感承認社会参加、偉い偉い誇り誇り
みんな私を(無条件に)ほめて
みんな僕を(何をやっても)尊重して
よしよしなでなでやさしくして
心に穴を掘られる怒りだけは忘れて
素直に生きようよ
被害者になって、今、気持ちよくなろう
コトバの上面でクルクル踊って、今、気持ちよくなろう
道徳や評価で一喜一憂して、今、気持ちよくなろう
前へ前へ、外へ外へ

自分の不誠実、不正、卑しさを見ない孤独な個体
希薄で脆弱な呆けた自我に阿る政治
薄弱者に媚びるビジネス
狂人や異常者を増長させる扇動
ヒトが撒く餌を貪り太り転がり落ちるヒト
繰り返しても、繰り返しても、繰り返しても
はじめてであるかのように、また繰り返す、善良な市民
それが惨めな従属だとわからない
コトバやイメージとの距離がとれない
どころか
距離をとるという発想を抱くことさえできない
したがって
どれだけ外的に自由であったとしても
奴隷以外ではありえない
奴隷はそこから一歩たりとも動くことができない
奴隷は自分の責任を認識することができない
奴隷にとって、“責任”はチンケなレトリック、外的強制力でしかありえない
訳もわからず、カタチを変えるだけの些末に執着し
流されるまま、加担し、破壊し、終わっていく
全部、既に決まっている


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遊民

Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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