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無人公園

光を喰った高層ビル 腰ほどしかない柵の隔たり
境界を踏み越えれば孤独を迎えたアナログ時計
砂利と靴底の摩擦
気まぐれに轍をつくり 振り返る無意味な瞬間
灰色のにおい 青空に浮かぶ太陽の記憶 子供たちが走り回る幻影
砂埃で白くなった足をはたいた

ふにゃふにゃのサッカーボール 泥だらけの縄跳び
砂場で朽ちる城跡 割れたバケツと褪せたスコップ
それでもニコニコ笑っている動物たち
ゾウさんもパンダさんもライオンさんも
雨の日も風の日も雪の日も たとえ眼がなくなっても
きっと笑みを絶やすことなく、鉄棒で遊ぶ親子を見守り続ける

水飲み場の銀色 干乾びた理想
微動するブランコがギィギィと音をたてていた
どこまでも飛んでいけないことを悔しがったあの日
子供たちが笑い合う幻影
錆びた鉄がむき出しのジャングルジム
赤い部分を握ると、粉々になった塗装がボロボロと崩れ、既に手は汚れていた

すべり台の先は幼少の末路 無邪気な退廃
受け入れろ世界を
腐っていく感情 跡形もなく
共に倒れる論理 為す術もなく
ドロドロのドグマが全身を侵せば
君は僕の声が聞こえなくなるし、僕も君の声が聞こえなくなる
0と1の列が並び、紙切れが舞う
笑い声は叫び声に変わって、時計の針が止まる

インチキな幻影はインチキな現実よりマジメな現実だった

「そろそろチャイムが鳴る時間だよ」

でも、まだこんなに明るい

「おしまいなんだ、鬼ごっこの時間も、かくれんぼの時間も」

動かなくなった子供たちはみんな
泣いているような、驚いているような、慄いているような、諦めているような
そんな表情をしている

「つかまえたから君が鬼だよ」
「みつかったから君が鬼だよ」

明滅する電灯
背中を押され、つんのめる
顔を上げると、2人の輪郭がベンチに座っていた

「残念だけど、もうチャイムが鳴ってしまったんだ」

最後の陽が沈み、遊具が黒く浮かび上がると、リコーダーの音が響き渡った

「追えば追うほど逃げていくのに、逃げれば逃げるほど追ってくるもの、なんだ?」

デタラメな幻影はデタラメな現実よりマジメな現実だった

「僕は追っても追っても結局追いつけなかった」
「僕は逃げても逃げても結局逃げられなかった」

自分、あるいはこの世界に創られたヒト

「でも、それで本当にいいのかなぁ?」

よくない、けどもう帰れない

2人はクスクス笑った

「じゃあ、おうちに帰ろう」
「じゃあ、おうちに帰ろう」

時計の針が動き出したときには、誰の声も聞こえなかった


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生活

電車に乗って
目の前に座った人をみていると、無性に泣きたくなることがある
大声でしゃべる老人やおばさん
無表情でスマホをいじるサラリーマン風の男性
はしゃぐ子供と言い聞かせる母親
ワイワイ盛り上がる大学生
楽しそうにいちゃつくカップル
こうした一人一人の向こう側に一つ一つの生活があると考えると
とても怖ろしいような、とても悲しいような、とても切ないような
胸の痛みに襲われる

窓の外に並んでいる住宅、アパートやマンション
一つ一つに生活があって、誰かの帰る場所になっている
目の前の人にもきっとどこかに帰るべき場所がある
遠くから眺める街は怪獣映画のセットみたいだけど、そこには確かに人がいる

ふと嫌な奴のことを思い出す
会社にも、学校にも、インターネットにも
他人を下に見ることが基本的姿勢になってしまっているヒトがいる
他人に「バカ」とか「つまらない」とか言って跳ね回っているヒトがいる
やりっぱなしなんて都合のいい話はないから
当然
「誰からも相手にされてないんだなぁ」
「他にやることないのかねぇ」
なんて言われたりする
そんなヒトの向こう側にも生活があって
映画やアニメや音楽で感動して泣いたりすることもあるのだろう

それがどんな一面であるにせよ、向こう側には“生活”がある
中身を推し量ることはできないにせよ、確かに“生活”がある
不意にそう実感する瞬間
赤の他人にすぎなかった乗客が
用意したカテゴリーに放り込んで意識から洗い流すはずだった相手または文字列が
明確な輪郭と重さを纏い
一つの存在者となって迫ってくる
そのときは、手に負えませんと、ただ立ちすくんで泣く以外にないのだ


奇跡にならなかった奇跡

本を読んでいて
自分がまさに必要としていた記述に出会い感動することがある
そうかそういうことだったんだ!このタイミングで出会うなんて奇跡だ!
パズルのピースがはまるためには、ちょうどよく欠けた未完成のパズルが必要だ
未完成のパズルができるためには、相応の積み重ねが必要だ
相応の積み重ねを積み重ねるためには・・・・・・
そしてその瞬間に至るまで、パズルの一部になることもなく
意識をすり抜けていった無数の文章たち
私が掴むことのできなかった無数の文章たち

ラーメン屋に行こうと街へ向かった
駅前の人混み、すれ違っていく人々
この間はあの店に行ったから今日はこの店に行こう
前の人たちが邪魔で信号を待つことになった
運良く並ばずに着席できた
ちょっと本屋に寄ってから帰ろうか
私の状況と制約と思考と無意識・・・・・・が織り成す選択選択選択選択
人々の数だけある同じような連鎖、相互作用
すれ違っていく人々、その時刻、その地点、その進路、その振る舞い
お互い名前も顔も知らない人々
もう二度と会わない人々
会ったとしても気づかないであろう人々

友人と一緒に宝くじを買ったことがある
2人とも外れた
「まぁそりゃそうだよな」と友人は言った
アタリになったあの番号を選ぶ確率
ハズレになったこの番号を選ぶ確率
「当たるわけないよね!」と友人は言った
どうせなら当たれよと思った

近所に住んでいるけど話したこともない人々
同じクラスになったけどほとんど関わらなかった人々
塾で少し一緒になっただけの人々
何となく借りて「よくわかんないな~」で終わって忘れた映画
思い出にならなかった人々、意味にならなかった物事
今体験している平板な感情
今体験しているとりとめのない思考
視界を横切った落ち葉の軌跡


ありのままの赤ちゃん

僕のお母さんはよく言った。「困難を抱えた人や、みんなよりちょっと苦手なことが多い人を差別するのはいけないことだよね?ありのままに手を加えるということは、同じ差別をすることになるの」その後には不幸にも殺されてしまった昔の人たちの話が続き、最後はこう締めくくる。「絶対やっちゃいけないことなの」こうして僕は“ありのままの赤ちゃん”としてうまれた。

僕のお父さんはよく言った。「ありのままの自分を受け入れるんだ、大丈夫、きっと乗り越えられる」その後には“ありのまま”の大切さが続き、最後はこう締めくくる。「結局ありのままが一番なんだよ、自然が与えてくれた試練に立ち向かうことにこそ生きる意味があるんだ」こうして僕は“ありのままの赤ちゃん”として“ありのまま”に育てられた。

学校は将来のためにと普通の学校にいくことになった。普通の人たちは僕以外みんな“ありのまま”ではなかった。僕よりずっと頭がよくて、機転も利いて、運動もできて、なのに僕をバカにすることもなく、勉強を教えてくれたし、僕のつまらない発言をいつもうまく笑いに変えてくれたし、チームの足を引っ張った時は僕の精一杯が最大限活きるような作戦を一緒に考えてくれたし、放課後は練習に付き合ってくれた。僕はみんなが大好きだった、みんなありのままの目で僕をみてくれたから。

お母さんは聞いた。「学校はどう?」僕は何も考えずに、みんなとても凄くてやさしくて毎日楽しいと応えた。するとお母さんは不機嫌な目になって、「でもそれは本当じゃない」と言った。どういうこと?とは聞けなかった。

お父さんに通知表をみせた。僕の成績は全部最低だったけど、先生は「ムードメーカーとしてみんなととても仲良くできている。勉強も運動も友達と一緒に根気強く取り組んで着実に向上している」と書いてくれた。お父さんは怒鳴った。「悔しくないのか!」何を悔しがればいいのかわからなくて、僕は何も言えなかった。

ある日、お母さんの不機嫌な目をみたくなくて、僕は嘘を吐いた。友達のA君にいじめられたと言ったのだ。お母さんは一瞬緩んだ目をすぐにキリッとした目に変えて、学校に連絡して話し合いの場を設けさせた。「大丈夫だった?」「先生にちゃんと言うからね」そんなお母さんの目をみて嬉しくなったけど、大好きなA君を裏切ってしまったことに気づいてお腹が痛くなった。

教室に行くと、A君もA君のお母さんも先生もきていた。僕のお母さんは僕の手を引いてツカツカと入っていき、怒りをぶつけ、最後に言った。「やっぱりニセモノはニセモノですね!」先生は困ってしまい、僕に聞いた。「A君に何をされたの?」僕は黙っていた。お母さんも驚いて黙ってしまった。先生はA君に聞いた。「A君、何をしたの?」A君の「待ちましょう」という言葉をきいて、僕は泣いてごめんと言った。「A君、許してあげられるかな?」A君はすぐに強い口調で言った。「これは許すとか許さないとかの問題じゃありません。ただ、今僕に言えることがあるとすれば、こうしたくなる気持ちは理解できるということ、嘘はいけないけど責めるつもりは無いということ、明日からも友達でいたいと思っているということ」嘘を吐いた僕よりも、A君やA君のお母さんの方がつらそうな目をしていた。僕のお母さんは目をパックリと開けて下を向いていた。

次の日、お父さんが気分転換にと“ありのままの赤ちゃん”の集まりに連れて行ってくれた。「きっといい友達がみつかるよ」何かに縋るような目をしていた。僕はそこではじめて“障害者”の人と出会った。目をキラキラ輝かせながら、“ありのまま”の素晴らしさを話してくれた。「確かに“ありのままの赤ちゃん”としてうんだ親を恨んだ時もありました、なんで自分がと思った時もありました、昔の人が殺されたことと自分は何の関係も無いと怒った時もありました、けど今はとても感謝しています。“ありのままの赤ちゃん”としてありのまま育ててくれた両親と、そして自然が与えてくれた試練のおかげで、普通の人以上に誰かに寄り添える人間になれたのです。ここにいる人たちはみんな歴史を背負っている、惨劇を繰り返さないでほしい、そう伝える使命を胸に・・・・・・」お父さんに楽しかったかと聞かれて、楽しかったと応えた。お父さんはうんうんと頷いて、また来ようなと言ったけど、本当はもう二度と来たくなかった。

その日の寝る前、お母さんは僕を抱きしめて言った。「あなたが“ありのままの赤ちゃん”としてうまれてきてくれて本当によかった」そして続けた。「お母さんもお父さんも普通の人たちと比べて勝つことばかり、自分たちの都合ばかり考えてた。ごめんね、でももうわかったから、思い出したから、あなたがこうして健康で元気に生きててくれるだけでいいんだって」僕はとても安心した、なんだ、お母さんもお父さんも本当はちゃんとわかってたんじゃないか・・・・・・けどそしたら今度は僕の方がわからなくなってしまった。じゃあ、僕は一体何のために?“ありのままの赤ちゃん”としてうまれた僕は、一体何をするために・・・・・・何をさせるために・・・・・・?僕の頭ではそれ以上考えることができなかった。


ならばとりあえず笑おうか

去年の今頃に『12月の3日日誌』という文章を書いた。大きく波打つ気分に翻弄された話。うん、今年もきた、というよりきていた・・・・・・気がする。去年の大波の前にどんな精神状態だったか覚えてないので、これが同じ類のものなのかはっきりとはわからないが、大波ではなく中波小波がどっかんどっかん2週間ほど。去年のように「真理を洞察した!」と「自分はもうどうしようもない」を反復するまではいかず、「これはみんなアッと言うね!」と「生きるのって本当にツライなぁ」を反復した。ただ中波小波とはいえ期間が長いし、判断力や集中力もちゃんとダメになっているし、空回りしているし、そのせいでアタマがグルグルして普段考えない“将来”について考えることが多かった。

お腹の辺りで大きな感情が渦巻きだすと、すぐに不安がやってきて“将来”へと連れていく。といっても抽象的な言葉や断片的なイメージばかりである。親の介護、職歴ナシ、無職、税金・保険料の滞納、迷宮のような手続き、病気、孤独、貧困・・・・・・それでも不安は増幅する、呼吸が苦しくなる、そして思考はより具体的な対象を求め、“この世界で年を取る”というより生々しい恐怖や自分の過去へと向かう。

“自分が年を取る”ということは、自分以外の人間からすれば“他人が年を取る”ということであり、自分が自分の“年を取る”をどう考えているかにかかわらず、世間はそれ=他人が年を取ることに対してかなり都合のいい見方をしていると思う。

たとえば「いやだ!やりたくない!」が許されるのは若者だけで、おっさんおばさんが言ってたら「いいかげん現実みろよ」となる、つまり年を取れば“成長して道理をわきまえ社会の方が正しいと理解する”ことになっている。若者が「結婚なんてしません」と言うと“自分で選んだ生き方”として通用するが、年を取れば選んだにしろできなかったにしろ平等に“できなかった人”に分類される、つまり“成長して同じ価値観に目覚める”ことになっている。“いい年した大人”が「生きるのがツライ」と弱音を吐けば「情けない/大人になれ」と言われる、つまり“成長して精神的にもタフになる”ことになっている。自由な生き方だ価値観の多様化だといっても、年を取れば誰もが“普通の生活を前向きに実現・維持するようになる”ことになっていて、やらない人もできない人も「いい年して・・・・・・」と言われるようになる。要するに、自分のようにその“普通”ができない人間にとって、“年を取る”ことは肉体的・精神的な衰えに加え世間的環境の悪化も意味する。

サラッと書いてしまったが、私はやらない側ではなくできない側の人間だ。就職面接は全然通らなかった。自分が自分について語る言葉があまりにも嘘くさすぎて発することに抵抗を感じ続け、最後は頭の中の言葉を口から出すこともできなくなり、「もういいです、お時間とらせてしまい申し訳ありませんでした」と言うので精一杯だった。面接で話す言葉を紡ぐのはただただ苦痛だったし、なんでこんなことまでして働かねばならないのかと涙を流した。これは単なる甘えなんだ、ここで成長しないとダメなんだ、という自己洗脳にも手を染めた。

そうだちくしょうやるしかねぇ、意識を高揚させるために成功者たちの胡散臭いツラを拝み倒した。「これで世界が変わる!」「問題解決!社会貢献!革命的!」威勢のいい名言、一瞬の高揚、大きな虚脱感、どれもこれもマジつかえねー麻薬だなぁ、画面の向こうでペラペラ語ってるヘラヘラのツラに何一つ魅力を感じない、動画を閉じた。ところで今自分が持っているこいつはなんだ?高性能小型コンピュータ!(高性能カメラつき!)世界中の人間をつなげる革命的プラットフォーム!革命的革新の結晶たる革命に思考を革命されたオレたち若者が革命的マシンを駆使して送る革命的日常、それは・・・・・・お喋り、生活の自慢し合い、証拠写真作り、動画サイト閲覧・・・・・・バカヤローかよ!?いやふざけんなよ、上見てフワフワ横見てチラチラ肝心の足元お留守でフラフラじゃ意味ねーわ。なにこれホントに文明?ペコペコ頭下げてヒーヒー働いて維持するのが覗き見文明ライフですか?オイオイオイあまり人間をなめるなよ都会育ちの小僧共、イナカなんてヤダーと下に見ながらクールなシティのライフを革命イナカナイカイカナイカ~~~トカイがイナカになっちゃった☆。斜め下をいくシナリオに絶望した私は顔本を開いたままのスマホを叩きつけた勢いで解約し、就活をやめた。了解、ステイハングリーステイフーリッシュ・・・・・・これどういう意味?

どうしようもないんだ、うん、どうしようもない。私は劣悪な世間的環境の中で“何者にもなれない中年・老人”という何者かになる、きっとほとんどの人も私と同じように・・・・・・なんて考えて自分を慰めるしかない、でもみんなもそうする以外にどうにもできなかったんだろう?なのに世間の瘴気にあてられて、過度にポジティブになろうとしたり、自分を卑下するようになったり、他人や“普通”を貶すようになったり・・・・・・人間なんて脆いものさ(それともはじめから人よりちょっとユニークだったのかい?)、それが裏目に出るとわかっていても、前のめりになって動き続けるしかない、どこかの引きこもりニートが「これはみんなアッと言うね!」と舞い上がってtwitterに投稿してしまうのと同じように、それがやっぱり裏目に出てもっと前のめりになる所まで同じように。

でもそうやって繰り返していくしかないんだ、「傍観者気取ってあがこうともしない奴が一番ダサい」なんて価値観に曝されながら。あがいたところで低賃金だ無能だ自己責任だとバカにされる。抵抗?無理だよそんなの。「社会に必要な仕事が“誰にでもできる仕事”でなかったら困りますし、あなた方が生存を人質に労働させる非人間的システムを肯定するせいで必要な仕事の賃金が上がらず、機械化も進まず、いつまで経っても人類が労苦から解放されないんですよ、責任とれタコ」と言ってみても、人々は“負け犬の妄想・言い訳”と一蹴し、眼球ギンギン気力に滾った勝者の「自分のアタマで考えて勝て!」に手を叩く。泣きたくなるだろ?でも、こうやって繰り返して凌いでいくしかないんだ、最終日まで・・・・・・ならばとりあえず笑おうか。


プロフィール

遊民

Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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