被視体

私たちはこの人間が夢をみていることを知っている。そこは大学か、会社か、デパートか、駅か、なんにせよ人々が集まりかつエレベーターが設置されている所だ。人々の流れが進まぬ一方、この人間は早足で人々の中を進んでいく。よほど急いでいるらしい。というのも、誰も近づきさえしないエレベーターに乗ろうとしているからである。剥き出しになった透明の箱が天から降りる糸に吊られているだけのシロモノなのだから、乗らぬのが当然というものだろう。

やはりまずかったかと不安になり、その心情はたちどころに現実化?する。箱は中空で停止するとブヨブヨした木の実のようなものに変質し、グルグルと大きく振れ始めた。誰か、誰か助けてくれ!下の人々に向かって叫ぶが、人々は大きな声で笑うだけであった。この人間が怖れのあまり膝を抱えて丸くなると、ブヨブヨが裂け、どこかのエレベーター乗り場に放り出された。そこには大勢の野次馬が集まっており、この人間が出てくると同時にウっと顔をしかめて後ずさった。恐怖で気付かなかったが、どうやらブヨブヨが強烈な異臭を放っていたらしい。好奇から嫌悪、そして肉。それも腐った肉。この人間は人々の眼球の奥で表象される「この人間」を思った。

私たちはこの人間が目覚めたことを知っている。さらに目覚めたのがこの人間にとって見知らぬ場所であることも知っている。この人間の部屋とそっくりに作ってあるものの、ここはこの人間の知っている部屋ではない。しかしこの人間はまだ事実を知らない。ただ部屋に帰って寝た記憶が無いので、何か変だとは思っている。酒を飲んでもいないし、もちろん妙な薬もやっていない。それなのに帰ってきた記憶がまるでない。うーんと悩んでいると、机に置かれたメモが目に入る。「箱は丸みえ。お前はみられている。」

確認すると、ドアも窓も偽物だとわかった。なるほど、箱か。これで「丸みえ」が正しいとすると、こちらからは向こうが見えないが、向こうからはこちらが見えるカラクリになっている、ということになる。私たちの場所からでは向こうが見えないのだ。この人間は数秒考え、机を殴った。ふざけるな!こんなイタズラ、どこの気狂いの仕業だ!

あははははは!大勢の人々の笑い声がきこえた。バラエティ番組なんかで使われる効果音のような声だ。あははははは!あははははは!この人間が笑い声に驚いて尻もちをつくとまた笑い声。ふざけるのも大概にしろよ、クソったれ共!と怯えながら宙に向かって叫ぶとまた笑い声。あははははは!布団に逃げ込んでガタガタ震え始めるとまた笑い声。しかし私たちの場所からでは向こうのことがわからない。

布団に隠れて少し落ち着き、この人間はあははははは!が録音なのではないか、という可能性に思い至った。そこで早速布団から飛び出てあたりを捜索してみたところ、複数の箇所から装置を発見、その破壊に成功した。邪魔な笑い声がなくなり一安心すると、その隙を見計らったように何者かの「ぬか喜び!ぬか喜び!」を合図にあははははは!が再来した。箱じゅうをくまなく探したはずなので、向こうに人がいて一方的にみられているという結論はもはや避けられないように思えるが、私たちの場所からでははっきりとはわからない。

何時間か、何日か、どの程度の時間が経過したか私たちの場所からでは知ることができない。確かなのは、この人間が死を決心したことである。今まで死を考えたことなどないのでどうすればうまく死ねるのかわからないが、とりあえず手首と首の血管を切れば間違いないだろう。そう判断し、ガラス製のテーブルを壊して淡々と準備を進める。

「じ、じ、じ、自由だ!わ、我々は!みる、自由!を、享受しているだけだ!」
「け、け、け、権利だ!わ、我々は!みる、権利!を、行使しているだけだ!」

歓声が上がり、「自由!権利!」の大合唱が始まった。推察するに、自分たちは悪くないと主張したいようだが、しかし私たちの場所からでは知ることができない。

「じ、じ、じ、自由だ!こ、この人間は!死ぬ、自由!を、享受しているだけだ!」
「け、け、け、権利だ!こ、この人間は!死ぬ、権利!を、行使しているだけだ!」

歓声が上がり、「自由!権利!」の大合唱が再び始まった。推察するに、悪いのはお前だと主張したいようだが、しかし私たちの場所からでは知ることができない。

「ひょ、ひょ、ひょ、表現だ!は、箱は!表現する、自由!を、体現しているだけだ!」
「そうだー!芸術なのだー!箱は!アートなのだー!」

歓声が上がり、「表現の自由!表現の自由!」の大合唱が始まった。推察するに、こちらには正義の根拠があるのだと主張したいようだが、しかし私たちの場所からでは知ることができない。


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追われ追われてまた追われ

「指導者様!指導者様!どうか、どうか1分だけでも話をきいてください!」

「おい!なんだこの薄汚いガキは!申し訳ありません指導者様、すぐに追い払いますので」

「まあまあ、いいじゃないですか少しぐらい」

「しかし・・・」

「指導者様!どうかベーシックインカム(以後「BI」)を導入してください!」

「ほう、BIですか」

「はい、父も母も毎日遅くまで仕事をしておりますが生活は楽になりません。私も中学を出たらすぐ働きます。父も母も社会保障には頼れないと言っていますし、もうBIだけが頼みなのです。お願いします、私は勉強して大学にもいきたいのです」

「ほう、ほう、きみはお名前、なんていうのかな?」

「アケミです」

「うん、いいかいアケミちゃん、残念だけど私にBIを導入する力はないんだ」

「え・・・」

「ごめんねアケミちゃん、私にはね、できないことの方が多いんだよ」

「なんでですか?なんでできないんですか?」

「それはね、国民のみなさんが許してくれないからだよ」

「そんなはずありません!苦しんでいる人たちはきっとみんな賛成してくれるはずです!」

「う~ん、本当にそうかなあ?ちょっと聞くけど、アケミちゃんのお父さんとお母さんは、お休みの日に何をしてるのかな?」

「疲れきってずっと横になっています・・・私、その姿をみているのがつらくて・・・」

「実はね、他の人たちもみんな似たような感じなんだよ。アケミちゃん家のように苦しんでいる人たちばかりか、生活に余裕のある人たちさえ同じような感じなんだ」

「・・・それが何だって言うんですか?」

「みんなね、怖れているんだよ。休みがたまにしかなければ、その日グータラしていても「疲れているから」って考えることができるだろう」

「頑張って働いて疲れている人たちにそんなこと・・・!」

「アケミちゃん、もし、ね、もし、だよ。もし働いて疲れ果てていなかったとしたら、この人たちは何をしたんだろう?うん、この人たちはね、働いて疲れ果てていた。身も心もボロボロなんだ。だからボンヤリとテレビをみて、適当に寝て、タバコを吸って、スマホをいじり、インターネットを彷徨い、酒を飲み、気晴らしに買い物をしたりスポーツに興じる。全部疲れているからやったことだね。じゃあ、もし、働いて疲れていなかったとしたら、代わりに何をしたのかな?」

「・・・」

「もちろんね、中には趣味に没頭したり、作品を生みだしたり、仕事を創る人たちがいるかもしれない。けどね、「疲れたから」と言って普段からこういうことをしない人たちが、いきなり「さあやるぞ!」となるものかな?いやね、私は「本当に好きなら必死に時間を作ってやるはずだ」という根性論を押し付けたいわけじゃあないんだ。BI導入、大いに結構。国民が望むならすぐにでも導入するよ。月10万でも20万でも、お望みなら導入します、お望みなら、ね」

「BIが導入されれば生活が良くなるんだ・・・私は勉強して大学にいきたいんだ・・・」

「アケミちゃん、この世界の中ではね、アケミちゃんみたいに現実を重んじる人はむしろ少数派なんだよ。勉強ができる環境になってしまったら、もう「お金がないから」って考えることができなくなる。「お金さえあればできるんだ」って考えることができなくなる。働く時間が減ってしまったら、「疲れているから」「時間がないから」って考えることができなくなる。働かなくても済むようになってしまったら?「疲れてさえいなければ」「時間さえあれば」「お金さえあれば」これらは全て無効だね」

「指導者様は、国民に幸せになってほしくないんですか!」

「いやあ、私は誰よりも国民の気持ちを考えているんだ。だからこうして国民が幻想を抱き続けられるような環境を整え、苦労や労働は尊いものだと宣伝しているんだよ。いいかいアケミちゃん、人々はアケミちゃんみたいに現実を生きてやいない。現実を生きたらね、頭がおかしくなってしまうからね。みんなただの期待や願望を現実の目標と信じることでなんとかかんとかやっているってわけだ」

「・・・」

「たとえばニュースかなにかで「生活を良くしたい」って言ってる人をみて、アケミちゃんはどう思う?」

「どうって・・・生活を良くして幸せに・・・」

「違ぁう!嘘!嘘!嘘!こんなもん大嘘っぱちだ!希望も、夢も、進歩も、全て「追う」ものじゃあないか!追われてるだけの人間があ、嘘吐いてんじゃあねえぞ!現実に追われてるだけの人間があ、すり替えてんじゃあねえぞ!金や時間にすり替えりゃあいいと思ってんじゃあねえぞ!あーっはっはっは、とんでもない嘘吐き共!いいか!希望も、夢も、進歩も、何一つ達成されることはない!何一つ変わることはない!なんせ誰も追ってやいないんだから!あーっはっはっは」

「・・・」

「いいかい、この世界で大切なことはね、みんなの気持ちをちゃんと考えることだ。みんなに合わせないと、生きていけないからね。だから金輪際BIなんて求めてはいけないよ」

「つまり、この世界は地獄、ということですね」

「理解の早い賢い子だ」

二人「はっはっは」


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遊民

Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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