雪解けてしんそう

「う~、さむいさむい、やっぱり電車止まっちゃったかぁ」

「いやぁ、これは困りましたなぁ」

「ええ、ほんとに」

「こうなることは数日前からわかりきっていたのに」

「それなのに出勤しろだなんて、この国の会社は本当にどうかしていますね」

「そうでしょうか?」

「こんな日に出勤させるんですよ?おかしいじゃありませんか」

「私たちは、出勤するよう会社に強いられたのでしょうか?」

「え?」

「会社から、くるな!くるな!絶対くるな!と言われたら、どうです?」

「ハハハ、そりゃあ、嬉しいですよ。やった休みだ!って」

「あなたは会社にとってなくてはならない存在なんですね」

「どういうことですか?」

「不安じゃありませんか?どうしても、絶対に、会社にはあなたが必要だ、みんながそう認めていて、かつあなた自身もそのことを知っているなら、何の不安もなく休めるでしょう。しかし、そういう人が今ここで一人震えながら電車を待っていますかね?」

「ちょっと勘弁してくださいよ。うぅ、急に胸が苦しくなってきた」

「子供の頃、学校を休むと不安になりませんでしたか?」

「ええ?どうだろう、全然覚えてないなぁ」

「今、集団内の「自分」の部分に穴があいている、もし、別の何かが、その穴を埋めてしまったら、どうしよう」

「そんなぁ、考え過ぎですよ」

「次の日の足取り、重くありませんでしたか?自分がいない間に、世界が変わってしまったのではないか、と」

「世界が変わる・・・・・・う~ん、やはりそんな昔のこと覚えていませんよ」

「私も全く覚えていないので、もうしばらくお付き合いください。どうして私は不安を感じたのでしょうか」

「えっと、覚えていないんですよね?」

「はい、全く覚えていません。しかし不安になるのは事実なのです、なぜでしょうか?」

「まぁ、仲間外れになる不安はあるでしょうね。何をするにも、クラスの中で何の役割もなくポツンとしているのは、つらいことですから」

「信頼している仲間同士だったら、そもそもそういう不安は生じますかね?」

「生じないでしょう。不安になるのは、その関係が表面的にいくら良好にみえようが、口でいくら「最高の仲間」「大好きな仲間」と言っていようが、実際は不安定あるいは敵対的であることを知っているから、自分がいない間に、何かが起こるのではないか、と思わずにはいられないから」

「あなたはなぜ不要不急の仕事をしに、今日こうして出勤したのですか?」

「さぁ、なぜでしょう」

「会社に強いられたんじゃなかったですか?」

「・・・・・・」

「つまり「いけないこと」なんですよ。一日休んだぐらいで世界が変わるはずない、それはよくわかっている。けどなんだか気味が悪い、嫌な感じがする、不安になる。それが「いけないこと」だから」

「「いけないこと」・・・・・・いや、考え過ぎですよ。誰かにそうと教わったわけでもないし、なにより誰もそんなこと口にしてないじゃありませんか」

「もし明日も同じように、あるいはもっとひどく雪が降ったとしたら、あなたはどうします?」

「休みを取る都合が・・・」

「といった言い訳をしつつ、文句を言いながらも、出勤するのではありませんか?自発的に」

「・・・・・・ハハハ、おっしゃる通り!残念ですが、所詮社畜ってことですよ」

「こうした行動を社畜と自嘲することは、完全に誤魔化しですよ」

「誤魔化し、ですか?」

「あなたは会社に尽くそうと思って出勤したのですか?ここでこうしているのは会社への忠誠心の表れですか?」

「そりゃまあ、自分の場合は違う、かもしれませんが・・・」

「大半の人が違うんですよ。社畜的行動を取る人は大勢いますが、会社に忠誠を誓っている人はほとんどいません。鎖がどこに繋がっているか、見誤ってはいけない」

「自分を縛っているのは自分自身ということですか?」

「それではいけない。「会社」や「自分」などの慣れ親しんだ観念に安易に帰属させてはいけない。ここは人間の言語的思考の陥穽ですから、常に気を付けなければならない」

「それじゃあ結局私たちは何に縛られているのですか?」

「システムですよ。生活を人質に雇用のイスにしがみつくことを強いるシステム、その「力」は現実を遍く覆い尽くし、いつの間にか現実そのものと化している。システムが現実を規定し、現実が日々の行動を規定し、人々は適応的な「ねばならない」「してはいけない」を自発的に内面化していく。適応的な価値観を内面化していく。「世間の目」を内面化していく」

「システム、ねぇ。あまりピンときませんなぁ」

「あなたが休んでいる間に会社に居場所がなくなり、無職になったら・・・・・・どう感じます?」

「やめてくださいよ!縁起でもない」

「わかりました、しかし「社畜」といった言葉に逃げてはいけませんよ。これには「会社対個人」というピント外れの世界観が反映されていますからね」

「確かに「社畜」で済ませてしまう方がずっと楽かもしれない・・・・・・あぁ、どうやら電車が動き出すようです。行きましょうか、ちなみに明日のご予定は?」

「出勤ですな。雪が降ろうが、火山が噴火しようが、線路を這ってでも、不要不急の仕事をしに・・・・・・うひひ」

「うひひ、社畜なんていない!社畜なんていない!みなさんご一緒に!!」

「社畜なんていない!」
「社畜なんていない!」
「社畜なんていない!」
「社畜なんていない!」
「社畜なんていない!」

「さぁ、いざ、不要不急の明日へ!」


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もういいから、もういいんだ

「オ~イ、ボソボソ何言ってんだかわかんねーよ?もっとハッキリ喋れやオラァ!」

「え、えっと、あの・・・」

「ここの寸法、間違えてんだろっつってんだよ!なあ?ここお前の担当だろぉ?」

「い、いや、ここは・・・」

「ねぇ、どうすんの?お前のミスで間に合わなくなったら、どう責任とってくれるわけ?お~い、Bクンよぉ~」

「そんな・・・」

「ん、B?お~い、一体どうしたんだい?」

「あぁA君、実はこのゴミが寸法を間違えやがって」

「え・・・・・・うわすまん!これ間違えたのオレだわ!みんなゴメン、本当にゴメン!頼む、みんなで残ってくれ!やり直すの手伝ってくれ!」

「いやいやいやいや、A君の貢献度を考えれば、こんなの全然ミスじゃないっしょ、なぁ?」

「そうだよそうだよ、今からやり直せば全然間に合うから!」

「てかこの状況で間違いを認められるとか、マジすごくね?」
「ねぇ~、やっぱ信頼できるわぁ~」
「キモオタ野郎を庇うなんて、ほんと優しくてイケメンだわ」
「A君みたいな人でもこんなミスするなんて、逆に親近感湧くし」

「えっと、みんな、オレは実際にオレが悪いからそう認めてるだけなんだけど・・・」

「も~、そんな謙遜しなくていいんだよぉ~」

「謙遜?」

「ささ、早くはじめよーぜ!早く早く、あ、おい、B!てめーちゃんとA君に感謝しろよ!何の役にも立たねーくせに、足だけは引っ張りやがって」

「ちょっとちょっと、Bはちゃんと貢献してるし、去年なんてBが斬新なアイディアを出してくれたから・・・」

「おいお~い、去年オレたちを受賞に導いてくれたのは、A君だろぉ?」

「え?」

「そうだよ!A君が頑張ってくれたおかげじゃん!」

「しっかしB!お前いい加減にしろよ?なにA君の手柄横取りしようとしてんだ?あ?」

「ダッさ、どうせ内申点狙いだろ?いちいち卑しいんだよ、点数乞食が」

「ボ、ボクはそんなこと・・・」

「よ~し、みんな切り替えてこうぜぇ~!」


毎日毎日、こんなことばかりだ。下らない祭り上げ、下劣な貶め、不毛な比べ合い、そうして得られる卑小な満足感、つまらない優越感、ようやく保たれる教室の秩序・・・・・・これが人間か?「知恵」を持った生物のやることか?自分の生き残りや立場にばかり執着し、欲得に飼われるままピョンピョン反応するだけ。毎日毎日、この繰り返しだ。

「A君は自分を持っている」
「Bは現実から逃げているだけ」

「A君は筋が通っている」
「Bは理屈っぽくてキモい」

「A君は頭がいい」
「Bは勉強しかないガリ勉野郎」

「A君かわいい~、こういうスタイルもアリだよね~」
「うわキモッ・・・・・・死んでくれない?」

・・・・・・

「ボクはよく現実から逃げているとか、夢をみているとか言われるんだ。実際、そうなのかもしれない。現実に報われることなんてほとんど無いから、ボクの成功体験はアニメやマンガやゲームの中にしかない。努力しても、全く関係のない部分でバカにされて、台無しにされてしまう。だから、完璧な、落ち度が一切ない振る舞いを目指さなきゃいけない、けど、そうしようとすればするほどうまくいかなくなって、またバカにされる」

「人間ならそれは当たり前のことだろう。考えなきゃいけないことが増えれば増えるほど、心に余裕がなくなるんだから、対応力は落ちるに決まってる。否定されてばかりでは、委縮するに決まってる」

「連中がそんなこと考えてくれるかい?ただうまくできないボクを笑いたいだけで、その笑いがボクを追い詰めるなんてこれっぽっちも・・・・・・いや、わかっててわざとやってるのかな」

「オレはあいつらじゃないから、その辺はわからんなぁ。しかしたとえば自分が好意を抱いている相手の言動に対してさえ、手前勝手な動機や理由を読み込むだけだから、案外本当に全くわかってないのかもしれない。いや、あるいは意識的にわかっていないだけで、本能的にはわかっているのか」

「興味のある相手に対してさえその程度なんだから、興味の無いボクみたいなオモチャは、笑ってバカにしたらお役御免。次の遊び時間まで空気でいろってね」

「まぁそういうことだろうな、わかっているいないに関わらず」

「ハハハ、Aはボクの現実を冷静かつ公平にみてくれるから有り難いよ。しかし、君みたいな人の方が圧倒的に珍しい、実際このクラスには・・・・・・いや、この学校中にも、これまで知り合った人たちの中にも、君みたいな人はいなかった」

「環境と運が悪かっただけさ。世界は広いんだ、ちゃんとみる人だってきっとたくさんいる。今までが運が悪すぎただけで、上位の学校に行ければ好転するよ。Bは頭も悪くないし、カネがなくても独学で何とかできるだろ?」

「いや、もういいんだ。ボクはもう疲れた。そりゃ君みたいな人もいるにはいるだろうけど、現実にはそんな人ほとんどいやしない。大半は、連中みたいな・・・・・・」

「おいおい、諦めるのはまだはや・・・」

「ボクはそうやって前向きには考えられないよ。自分を騙して鼓舞する気力が、もうないんだ。前向きになって頑張って、バカにされて踏みにじられて、また立ち上がって・・・・・・もういいんだ」

「悔しくないのかよ。お前には将来あいつらを見返せるだけ才能が・・・」

「悔しいよ!悔しいに決まってる。けど、あんな連中を見返したところで何も無い。因果連鎖の中にいる「自分」を認識できないならただの白痴だし、認識しようとしないなら責任から逃げ回る浅ましい存在でしかないから。もし本当にボクが考える通り、世の中の人間も連中と似たり寄ったりだったとしたら、その中で生きる未来なんて・・・」

「待て待て待て待て、そっちにいっちゃいけない。お前には何かを成し遂げられるだけの才能がある。それをこんなことのせいでふいにするなんてもったいないぞ」

「君が羨ましいんだ。こんな風に接してくれるのは君だけなのに、ボクはときに・・・・・・君を憎んでしまいたくなる」

「そういう認識と発言がちゃんとできるのはオレが知ってる範囲ではお前ぐらいだ」

「ほら、これでボクの仮説の信憑性が高まったんじゃないかな」

「おいおい・・・」

「ボクはこれ以上醜くなりたくないんだ。連中に認められることになんて何の価値も無い、そう思っているのに、ふと気が付くと君を利用すれば・・・・・・と想像している自分がいる。ボクの思い通りに動いてくれない君に苛立っている自分がいる。君に寄生して盾にできれば今よりは楽になれると考えている自分がいる」

「なるほど、オレはお前に頼まれればきっと行動せざるを得ないだろう」

「そう、君はボクのためにリスクを取る。お前のためではなくオレのためだ、なんて言って、ボクと同じ所まで、もしかするともっと下まで、一緒に落ちるリスクを取る。人は簡単に言うんだ、人を傷つけるのも人だが、人を救うのもまた人だ、なんて・・・・・・バカ言うなよ!現実は取返しがつかねーんだ!手前勝手な観念で正当化したら人間として終わりだろうが!・・・・・・救ってくれるような人間と出会って、信頼できるようになって、もう十分さ。そんな人間を、「せざるを得ない」人間を、ボクはそれをわかったうえで、知らないフリして利用するなんてできない、してはいけない。なのに、ボクは君さえも打算的な視点でしかみれなくなっていって・・・・・・ちくしょう・・・・・・ちくしょう・・・・・・耐えられないんだ」

「もうこの関係自体がつらいわけだな。わかった、オレはもう行くよ、と言って、オレは去る。お前が用意してくれた逃げ道だと知ったうえで、オレは去る。バカ言ってんじゃねぇ、と衝動的に叫びたいが、それはしない。なぜなら、これがお前の最後の矜持であることも知っているから」

「ありがとう、それが無念の表明であることを知ったうえで、ボクは無視する。それが差し伸べられた手であることを知ったうえで、ボクは掴まない。フフフ、連中のような人間は大喜びで嘲笑うだろう、所詮は本当の信頼関係じゃなかった、本当の友情じゃなかったんだ、とね・・・・・・この世界で君と出会えた幸福、こんな世界でしか君と出会えなかった不幸」


次の日からBは学校にこなくなった。クラスの人間はすぐにBのことなど忘れ、オレも何もできないまま時を過ごしてしまった。結局、Bが用意してくれた逃げ道を歩む=何もしないという楽な選択を続け、Bに甘えてしまった。しかし、後悔はない。どの時点で何をどうすればよかったのか、今になっても全くわからないから。そして何よりBの仮説は多分正しいから、Bは信念に従って最善手を打てる人間だったから。現在Bがどこで何をしているのか、誰も知らない。


帰り道

私は歩いている。

再び動き出した時間、一瞬で変わる顔の集合、イスと机と床が鳴る。

私は歩いている。

ひび割れた廊下、薄汚れた階段、教室から溢れる喧騒。

私は歩いている。

放課後のチャイムが淡々と時を知らせる、一体誰に何を知らせる?

私は歩いている。

交わされる遊びの約束、踊る制服、はしゃぐカバンが重なり合う。

私は歩いている。

野球部の掛け声、吹奏楽部の旋律、演劇部の発声練習。

私は歩いている。

家が立ち並ぶ細い道、陰鬱なアスファルト、精彩のない木々や草花。

私は歩いている。

雲の灰色、夕暮れ時の黄昏色、足元の影はやみ色。

私は歩いている。

買ってもらったばかりの靴、悲しくなるから、目を上げる。

私は歩いている。

規則的に揺れる弱々しい腕、惨めになるから、目を上げる。

私は歩いている。

何をすればよかったのか、何ができたのか、それで何かが変わったのか。

私は歩いている。

笑っているのは誰?ありえたかもしれない未来。

私は歩いている。

カバンの重み、地面の感触、忘れかけた呼吸。

私は歩いている。

大きな箱と、小さな箱と、それとこれとを結ぶ道、狭い世界、けれどここが全ての世界。

私は歩いている。

迷えないけど、迷いたい、別の世界に迷い込みたい。

私は歩いている。

自分で自分のために見出す慰め
自分で自分のためにつくる欺瞞
自分で自分のためにうたう鼻歌

私は歩いている。

明日を連れてくる虹、散華した問いの叫び、道端に落ちた明日。

私は歩いている。

残心の軌跡、踏んで割れて、消えて。

私は歩いている。

風は絶えず背中を押して
月は現実を突きつけて
太陽はまぶしく輝いて

私は歩いている。

目の前は真っ白に染まって
身体は空白に溶けて
意識は宙を流れて

私は歩いている。

また同じように同じ道を歩く
また同じようにいってきますと言って
また同じようにただいまと言って

私は歩いている、歩いていく、歩き続ける。


認知の歪み

「あの~、メンタルヘルスチェックで「問題あり」とされまして、こちらの病院で面接を受けるよう指示されたのですが」

「ああ、それならこちらになります」

「ありがとうございます、失礼します」

「こんにちは」

「はい、よろしくお願いします」

「本日は面接ということで」

「ええ」

「はい、はい、ふむふむ、あ~、なるほど~」

「あの~、先生、私は一体どこが悪いのでしょうか?」

「人生についてどう思われますか?」

「え?」

「人生は素晴らしいですか?」

「はあ、そりゃもちろん、人生は素晴らしいです、生きる価値があります、生まれてきてよかったです」

「なるほど、完全に認知の歪みですな」

「はあ?」

「人生は素晴らしいって、あなた本気で思っているのですか?」

「いや、ふざけないでくださいよ。そりゃそうでしょう?え、なんか間違ってますか?」

「重症ですな。しかしご安心ください、ちゃんと治療すれば・・・」

「ちょっと待ってくださいよ!これは、この考え方は、完全に正常じゃないか!」

「本当にそうでしょうか?小さい頃は労働者になるための訓練、大きくなったら生活のための労働。恋愛経験や結婚や子供の有無で勝手に人間性まで判断され、生活水準の比べ合いを押し付けられ、グルグルグルグル巻き込まれて知らず知らず順応し、訳も分からないまま必死でそんな生き方にしがみつく。苦痛や重圧から酒を飲み、テレビやスマホで時間と空間を情報で埋め尽くし、頭をパンクさせて一時的にでもこの現実から逃げようとする。そんな人生が、本当に素晴らしいでしょうか?」

「なんなんだよ、おかしいよ、そんなの。だってそれが人生じゃないか!」

「ほら、「それが人生」だなんて、わざわざそうした概念操作をしないとやっていけない、それが人生でしょう?」

「しかしいいことだってたくさんありますよ」

「そりゃそうでしょ」

「ほらね、確かに人生には苦しいこともたくさんあるのでしょうが、結局はいいことと半々くらいですよ。だから後は当人の心がけ次第ってことです」

「いいことは「いいこと」として経験している間はいいことなんでしょうね」

「え?え?」

「いいことはあなたの中に欲求を残す、不満を残す、必要を残す。いいことはあなたの中のハードルを上げる、あなたの中に心配や不安をもたらす。つまり、いいことは苦しみの原因でしかない、いいことは全然いいことじゃない。いいことなんて無いのに、あなたは「半々」と・・・・・・いや、正直に言ってください、あなたは「半々」と言いましたが、実際は「半々」どころかむしろいいことの方が多いと思っているんじゃありませんか?ほら、ね。まさに重度の認知の歪み・・・」

「ふっざけんじゃねぇ!あんた、死ねって言ってるのか?おい、死ねってことかよ!」

「極端な思考、全か無かの思考・・・」

「はいはいわかりました死にますよ。死ねばいいんでしょ、はいはい・・・・・・だってこれじゃ生きていけないじゃないか!死ぬしかないじゃないか!」

「なぜですか?」

「はあ?あんたが死ねって言ったんだろうが!おい、じゃあなんでだよ、なんで生きてんだよ!」

「決めつけ、過剰な意味付け・・・」

「大体、人の勝手じゃありませんか、人生は素晴らしいって、それで誰か困りましたか?あなたに迷惑かけましたか?全っ然困ってない!全っ然迷惑かけてない!なのにあなたは・・・」

「あなたのような考えが蔓延する今の世の中はどうなってますか?」

「屁理屈だね。個人一人がどう考えようが、世の中には何の影響もありませんよ。というか、そんなこと考えようとする時点で、自意識過剰な誇大妄想に取り憑かれていると言わざるを得ない。それこそ「認知の歪み」ではありませんか?」

「そうですね。ところで、子供はほしいですか?」

「え、ああ、まあ、ほしいですよ、そりゃ」

「こんな世界に?」

「なんなんだよほんと!みんながあんたみたいに考えるようになったらね、社会が崩壊しちまうだろうが!」

「こちらは「みんな」「社会が崩壊する」ですか。現実は連続的なのに、すぐそうやって「悲惨な終局」にジャンプしてしまう」

「実際そうなるだろ!」

「こちらは単なる想像ですが、あなたのような考えが蔓延してみんなで苦しみ、我慢させ合っているのは現実でしょう。認知の歪みがあなたに妄想を優先させ、今・ここの現実を蔑ろにさせてしまうのです」

「あなたの人生観こそが「認知の歪み」ですよ。そもそも苦しんで、我慢して、乗り越えていくのが人生であり社会なのでは?」

「「苦しんで、我慢して」ここはその通りですが、「乗り越えていく」ことは志向してないでしょ。結果的にそう見えることはたまにありますが、実際は「乗り越えていく」ことを嫌がったり邪魔したりする方が多いではありませんか。そして、そんな社会を維持するために、あなた方は子供をつくるらしい、「人生は素晴らしい」なんて空虚な言葉で誤魔化して」

「・・・・・・」

「幸せになりたいですか?」

「はい、幸せになりたいです」

「幸せになりたいって、正気ですか?「幸せ」に「なる」だなんて・・・」

「てめええええええええええええ!!!」

・・・・・・

「こんにちは」

「はい、よろしくお願いします」

「本日は面接ということで」

「ええ」

「はい、はい、ふむふむ、あ~、なるほど~」

「あの~、先生、私は一体どこが悪いのでしょうか?」

「人生についてどう思われますか?」

「え?」

「人生は素晴らしいですか?」

「はあ、そりゃもちろん、人生は苦しいだけです、ヒヒヒ、いいことなんて何一つ無い!生きる価値なんて何一つ無い!死にたい死にたい死にたい生まれてこない方がよかったクソクソクソ!本気で自殺を考えています」

「なるほど、完全に認知の歪みですな。しかしご安心ください、ちゃんと治療すればよくなりますから」


吹き溜まりの器

青空の下、やさしいお日様の光を浴びながら、ポカポカと歩いていると、いつの間にか大きな影が横にいて、「わあっ!」と声を上げた時には既に逃げ場などなく、飲み込まれてしまうのだけど、次の瞬間にはもう影は消えてしまっている。青空の下、やさしいお日様の光を浴びながら、ドキドキと歩いている。


なあ、観念が変化するって、本当にそう思っているのかい?つまり、愛が憎しみに「変わっていた」というようなストーリーなり説明なりを、信じているのかい?なるほどそれらは確かに合理的だが、合理的なものとはつまりフィクションじゃないか。

で、あんたは「それ」をどうするんだい?ストーリーなり説明なりにするのかい?それとも「それ」のままに止めておくのかい?まあ、その方がずっと真実に近いだろうね。

こうしてパソコンを介してあんたがあんたと言葉を交わすってのも乙なもんだ。あんたが打って、あんたが読んで、あんたが打って、あんたが読む、その繰り返し。

この顔の半分があんたで、もう半分があんた。あんたは今笑っているけど、あんたは今怒っている。さてこれは本当かい?それともストーリー?説明?単なる表現?

あんたが何者かなんて、みんなに唆されるまま、その成立を信じてしまったから、こうして物理的にも分裂しちまって、残念なことだねぇ。しかしまあ、そのおかげで、あんたが打って、あんたが読んでという形式が可能になるわけだ。行間も沈黙もなにもかも読まれることを当てにできる、ありがたいねぇ。

何かに執着すれば、それに応じた観念がやってくる。器たる内的な領域で観念が「変わった」のではない、別の執着対象をみつけたことで、別の観念がやってくるようになっただけである。

それにしても、この口調はどうにかならないもんかね。あんたの能力的限界とはいえ、もう少し品の良い人格にしてもらいたいな。

「人格」だなんて(笑)

アイディアにしろ何にしろ、内面から出るもんだと思うから苦しいんだよ。観念ってのは去来さ。日の光、風の流れ、空の色、雨の粒、小さな生き物・・・・・・贈り物にはちゃんと送り主がいるってことさ。けど贈り物を贈り物と気づけなければ、こぼれ落ちてしまう、みんなそこまで面倒みてはくれないからね。だから、贈り物を有り難く受け取れるように、常日頃から準備に励んでおく必要があるのさ。

ところで、「準備」は何によって、誰のおかげで、可能になるんだい?

やはりそれでもドギマギどうしていよいよソワソワとにかくすぐにもはやくやがてあたふたどうやらようやくチョキンとらしいことごとくいかがなものかハテナ

幸せかい?そうだろう、幸せだ!あんたと、このヒト?あんたと、この子?「幸せ」とは、本当に恥ずべき観念である。他人を使う「幸せ」とは、本当に恥ずべき至りである。地獄の立役者たるあんたのお口が曰く「                        !」

滑稽、滑稽。なぜなら、わざとだから!わざと、あえて、意図的に、慙愧の器をあらかじめ割っておいたのさ!鬼畜暴虐破滅的、羨望嫌悪貪欲無慈悲。そんなあんたが愛の器でありうるか?

欲望に塗れてドロドロしたイメージ、意味に塗れてギラギラした音の連なり、あんたは欲望に笑い、欲望に泣き、意味に笑い、意味に泣く。どれもあんたが呼び寄せる観念。だから、贈り物に気づけない。たまたま手に入れることができたら、自分の手柄であると誇らしげに主張する、自分の内面から出てきた自分のモノであると。去来を自生と認識する致命的錯誤。そんなあんたは吹き溜まりの器。

みんな、ものを言わないってだけで、確かにここにいたし、ものを言わないってだけで、確かにここにいる。


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遊民

Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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