「義務」としてのストレス社会

「ねえねえ、知ってる?現代社会はストレス社会らしいよ」

「そうらしいですね。仕事や人間関係や環境の変化に絶えず悩まされ、結果的に生物としての許容量を超えたストレスを蓄積しているとか」

「人間も生物なのに、生物としての許容量を超えたストレスを我慢するんだ。変わってるね、なんでだろう」

「「義務」だからじゃないでしょうか。毎日決められた時間に会社や学校に行き、関わりたくもない人間と関わり、やりたくもないことをやって帰宅する。異動、クラス変え、進学による環境の変化に適応する。冷静に考えて、意味がわかりませんよね。この意味のわからなさを包み込んでくれるのが「義務」なのです。そしてこれが「義務」であるかのように、「義務」を果たすのは「善」であるかのように、行為し、発言し、計画を立てるのですね」

「この状況はよろしくないって身体からのメッセージより優先されるんだね」

「毒を括弧でくくって毎日飲んでいるわけです。身体が嫌だと言っているのに毒を飲むのですから、当然何かに命令されているのでしょうが、それがはっきりした形を伴ってくれないので、あたかも自分で選択して毒を飲んだかのように振る舞うのです」

「それをそれとして、それがそれであるかのように、それがそうであるかのように、かのように、でないかのように、でないかのように、でないかのように・・・・・・」

「そこに囚われると詰むように作られているのですよ。とはいえ、幾重もの括弧を律儀に飲み込むからストレスの許容量を超えるのでしょうけど」

「「現実」は現実以上に現実的である」

「うまくできすぎですよね、やることなすことに悉く括弧が用意されているのですから。まあ、命令の正当性を裏付けるようにしていけばこうなるのでしょうけど」

「何かに飼われているのにあたかも自分で自分を飼っているかのように」

「かのように、でないかのように、でないかのように、でないかのように・・・・・・という連鎖を断ち切った境地が「自律」と呼ばれるものですね」

「わざわざ「○畜」なんて言葉作る必要ないんだね」

「なんせ「義務」ですから」

「「義務」を果たさないと人類が滅ぶって言うけど、そうしているのはあくまでも当人だよ。それに仮に滅んだとして、それが何なのだろう。人間にこのまま生き続けてほしいのは、本当にそう思ってのことなのかな。動物が絶滅したり昔からあった商品が市場から消えたりするのは寂しいし、そう想像するのも寂しいけど、「人類に滅んでほしくない」と「ペヤングに消えてほしくない」との間には何か違いがあるのかな」

「身近な分だけペヤングに分があると思いますけどね。守るものが蛻ならその手段も蛻ということでしょうか」

「そうまでして「義務」を守りたいのかい」

「「義務」は我慢を要するから「義務」たりえるのであり、我慢を要したから「義務」であり続けねばならないのです」

「「義務」は義務だから「義務」なんじゃなくて救いの体裁を繕うために「義務」なんだね。それも偽りの救いだ」

「救いのない救いという意味では確かに偽りでしょうね。まあ、これは他の括弧にも当てはまることでしょうけど」

「我慢しなきゃいいのに」

「命令されている一方で自律しているのですから、我慢するしかないのです」

「フリのうえに我慢までさせるのかよ」

「念のため言っておきますけど、かのようにはフリとはまるで別物ですからね。そもそもフリは「現実」での行為です」

「我慢するしかないからストレス社会、ストレス社会だから「義務」、「義務」だから我慢しなければならない、「義務」としてのストレス社会。かのように、かのように、いや、いや、自律、自律。どうにかならんの」

「飲んだ括弧を吐き出すしか」

「う~ん」

「もっともっと」

「う~ん」

「もうひと踏ん張り」

「う~ん・・・・・・」

「あらら、死んでしまいましたか。あれに触れてさっさと死ぬか、「義務」の世界を生きてストレスになぶり殺されるか、まったくとんでもない隘路に嵌り込んだものです、はっはっは」


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