「友達」とは何か

憂鬱な気分が続く時、中学高校の頃の記憶がごちゃ混ぜになった夢をよくみる。部活動、ちょっとした対立、他愛もない会話・・・・・・日常。笑えば笑うほど、困難を乗り越えれば乗り越えるほど、憂鬱になっていったのを思い出す。たまたま身を置くことになった環境と合うかどうか、物事がうまいこといくかどうか、こんな運任せの綱渡りを独りでずっと続けていかなければならない。受験、テスト、入社試験、競争を繰り返して、「同じレベル」の人間同士集まって、その中でまた関係を構築していって・・・・・・。

自分に友達はいたのだろうか、とふと思うことがある。うん、確かにいた(と思う)。友達になってくれた人たちに失礼だからあらかじめ断っておくが、私は「みんな友達ではなかったのでは?」とか「今は付き合いもないのだから本当の友達ではなかったのでは?」などと思っているわけではない。友達は確かに友達だ、しかしこの世界の友達は「友達」になってしまう(させられてしまう)、というだけの話である。

「友達」とは何か?もっと言うと、孤立して生きることを強いられている個体同士の間に成立する「友達」という関係とは何か?そうなのだ。一生の友達でずっと付き合いがあると言っても、実は気が合うといった条件以上に「互いに運良くうまくいっている」ことが必要なのである。たとえばどちらかが経済的に困窮したとしても、深く頼ることはできない、助けることはできない、話をきいて「頑張るしかない」と励ますしかない。それでうまいこと復活できればいいが、できないとズルズル困難にはまり、忙殺され、転落し、少しずつ疎遠になってしまう。「友達」とは互いの小市民的生活の成功・安定の上に成立する関係である。

仮に頼ることができたとしても、それは一時的にならざるをえない。なぜなら手を貸す方は「ずっと続けても相手のためにならない」と思うし、頼る方も「相手に迷惑はかけられない」と思うから。お互いになんだかなぁと感じてはいても、何かが邪魔をする。システムの掟が既に関係の中に浸透しているのである。「自立」「自分で稼いで生きる」というイメージ、「自分の人生なんだから自分で何とかする」というルール、そうしたシステムの命令に互いにうまく従えている状態(問題化して表に出てこない状態)があってはじめて「友達」が成立する。私たちは深刻な問題を「ないこと」にして背景に退かせることで「友達」を成立させており、だからいざそれが表に出てくるとギョッとして、困惑しながら「最後は自分で頑張るしかないね」などと「そこから離れる」ことを考える。システムに屈し、目の前の「友達」よりシステムを優先させる。というよりはじめからシステムを優先させていたことが顕在化する、と言った方が正確か。

「友達」とは何か?相手がどんなに追い詰められていたとしても、いやむしろ追い詰められていればいるほど、私たちは何もできない。システムに従い没入すると、「助けたい」という気持ちより「こいつと深く関わったらこっちまで沈んでしまう」「手を貸したら結局相手のためにならない」といった気持ちの方が強くなる。そしてそれはやむをえない判断・もっともな判断だと認めてもらえる、自分の力で解決できなかった相手が悪いのだからと正当化してもらえる、なにより「現実」がその正しさを保証してくれる。しかし相手が深刻な状況に陥れば陥るほど助けることができなくなる「友達」とは、一体何なのか。相手も空気を読んで迷惑をかけまいと去っていき、孤独に困難に立ち向かう。困窮した?なら頑張って働くしかない。病気になった?なら頑張って克服するしかない。偏差値が足りない?なら頑張って勉強するしかない。もういやだ勉強したくない会社にいきたくない働きたくない?でも頑張って生きるしかない。みんなそうだから、自分もそうだから、頑張ろう。システム内の序列・生活水準・生死に直結する部分ほど、私たちは互いに触れることができないのである。

そんな世界における「友達」とは何か?損得計算や合理的思考、つまらない小市民的価値観、ささやかな小市民的生活の安定・・・・・・システムへの服従の上に築かれる「友達」という関係は何か?人間の本性の発露?まさか。「本音」を語り合えることが友情の証だとか、カミングアウトできることが信頼の証だとか、深刻な問題を「ないこと」にしてどうでもいいことを「重要問題」にして、そうやって制度化された関係が本性だなんて・・・・・・。互いの生活に干渉しないというと洗練されていて都会的進歩的に聞こえるが、そもそも私たちは深刻な場合ほど関わることを「しない」のではなく「できない」のである。

かつて「親友」と紹介された時、私は妙な感覚を覚えた。嬉しさよりも切なさの方が大きかったのである。そうか、友達の中でも「親友」なんだ、ずっと一緒にいたもんな。けど、互いの関係が「親友」になったところで、共に生きていけるわけではない。結局はシステムに屈せざるを得ない。どんな絆があったとしても、システムに立ち向かえるわけではない。二重の屈辱。相手が窮地に陥っても「相手のためを考えたら」助けることはできない。逆にこっちも助けてはもらえない、いざとなったら一人で何とかするしかない。二重の寂しさ。互いの小市民的生活を称え、ヘラヘラ笑い合う関係。相手が困った時ほど手を引っ込めねばならない関係。紙切れ如きに断ち切られる関係。この世界における「友達」とは、一体何なのだろうか?


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