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ギャップ

昔の自分がみていた夢を思い出すことがある
こうやって文章を書いている時、本を読んでいる時、ラーメン屋に向かっている時
ちょっとしたことがきっかけとなって、「あ」と言う間もなく裂け目にドボンと落ちて
全身があの頃の夢に包まれてしまう

何かあると、全てがうまくいっている夢の世界に飛び込んだ
自分が世界の中心にいて、世界は自分が思い描いた通りに動いて
みんながニコニコ笑っていて、自分もニコニコ笑っていて
円滑なコミュニケーションと爽やかな笑いが織り糸のようにスルスル絡み合って
世界と人生が調和し、光り輝く時間が流れる
困難や問題は速やかに解決された
人間関係の悩みや勉強の苦痛はなかった
受験は簡単にパスし、誰もが羨むような成功を手にし
充実して称賛される日々を送り・・・・・・

そんな人生を“理想”と感じていたことがあったわけだ
そんな人生、本当に?どんな人生?どんな未来?
多分、みんなと同じで、いつの間にかごちゃ混ぜになっていたんだ
本当の理想は、そんな人生ではなく
“当たり前のように受け入れられている世界”だった
排除される心配もなく、ちゃんと居場所があって
そこに堂々と自分がいて、笑い声に包まれていて・・・・・・

だからいつも夢の世界を泳いだ、ギャップをないことにしようとするように
現実の自分は必死だった
手に入れたモノを失わないように、奪われないように
何を言ってもバカにされる恐怖を思い出しては、バカにされない言葉を探した
見栄を張って嘘を吐いた、身を守ろうと怒りに任せた、余裕がなくなって独断した
正当化の意図も認識できないまま思い込みに縋った
「“理想の人生”を実現すれば」はいつしか「しなければ・・・・・・」に変わった

「人間はそうやって生きていくもの」

本当にこんなもので済ませていいのだろうか?
赤の他人しかいない集団に放り込まれて、生き延びるのでいっぱいいっぱいだった
「社会」であえて分断された個体同士を生存競争させる意味とは?
“自分だけの力で”生き“ねばならない”意味とは?
分断、孤独、不信、そして“目の前の現実”即ち“自分の人生”に耽溺するよう誘われる

「人間はそうやって生きていくもの」

この世界でのこんな生き方を「“人間”の生き方」にしてしまうことの意味とは?

「前に進むためには仕方ないこと」

この世界で“前”に進んでしまうことの意味とは?

・・・・・・ギャップに疲れたから“前に進む”のをやめた、現実でも、夢の中でも


可能年齢

両親と一緒にハッピーバースデーを歌った翌日、Aは生まれてはじめて清々しい気分を経験していた。いよいよ“可能年齢”に到達したからである。申請書への記入はあらかじめ済ませておいたし、朝一で役所に提出すれば今日中に“許可証”が手に入るだろう。

20XX年、この国で安楽死が合法化された。表向きは“死ぬ権利の尊重”ということになっていたが、実際は“税金の無駄を減らす”ことと“人口を吸収するだけの雇用のイスを創れない”ことが導入の理由だった。つまり人類の到達点として安楽死が認められたわけではなく、既存のシステムと価値観への執着が“人減らし”を必要としただけである。しかしそんなことはもうどうでもいい。かつてのAも“自分から不正な世界に殺されにいく”ことに怒りと抵抗を感じていたが、どうせ何を言ってもやっても無駄でしかないのだ。昼休みにスマホで確認して申請が通ったとわかり、Aはグッとこぶしを握った。

自室に戻り、受け取った書類をパラパラ眺めた。遺書やお別れに関する注意事項、どうやら黙って出て行ってそのまま逝ってしまう人も多いらしく、それだと親や恋人や友人の人間性を否定し傷つけることになるとかならないとか。これまでのAなら「先に人間性を否定したのは誰だ!」と怒っただろうが、そんなことはもうどうでもいいのだ。「まぁしかたないね」と言って書類をポイとベッドに投げた。遺書も書かないしお別れもいらない、最後の言葉なんて「バカバカしい」以外にないのだから。

安楽死を導入して数年のうちは、その“動機”として仕事や人間関係のつらさ、空虚感が漠然と語られるだけであったが、安楽死者の日記・ブログ・SNSへの書き込みといった“資料”が蓄積され、今ではかなり明確化されている。もちろん例外や表現の違いは様々あるが、ほとんどの“動機”は至って単純でわかりやすいものであった。要するに「誰のためにもならない無意味な苦痛を何の目的もなく無意味に我慢し押し付け続けることに疲れた」というだけの話である。紙切れに飢えた惨めな生活、延々と続くシゴトママゴト、雇用(ママゴトの役割)を巡る争い、進歩すればするほど人生のハードルが上がるシステム、順応者同士のニンゲン関係や序列付け、自己利益に執着せざるをえないやるせなさ、収奪される空しさ、収奪する疚しさ、他人が沈んでいても関心は“自分の生き残り”だけ、そんな世界につくられる子供、繰り返される学校塾コミュニケーション、苦しむための準備、服従を肯定する都合のいい情報にコンテンツ、気晴らしの娯楽、クソに塗れた日常・・・・・・。

しかし、単純化された“動機”でさえ、順応者たちは理解しなかった。難解な理屈も概念もなく、ただ“そうなっている”ことを指摘して「もう嫌です」と言っただけなのに。順応者は理解(すなわち現状・自分たちの変化)を拒絶して(表向きは)批判的な態度をとり、“楽して儲けたがる風潮”やら“ブラック企業による搾取”やら“人間関係の希薄化”やらに原因を求め、「仕事の尊さを~」「普通に働けば普通に生活できる社会を~」「絆の回復を~」といった主張を大真面目に繰り返した。果てには「苦しくても頑張って生きる、それが人生!」「安楽死したら地獄おち」などと信仰・脅迫にすがり、“現状肯定”の姿勢を徹底して貫いたのである。

Aが2階の自室でボンヤリしていると、両親がリビングで話す声が聞こえた。将来のキャリアがどうとか、結婚がどうとか、“希望”に満ちた話し合いがでかい声で展開されている。自分たちが何を“望んでいる”かもわからない、地獄を支持している自覚さえない。地獄がどれだけ地獄になろうが、この世界は惰性で回り続けるし、こいつらも惰性で回り続ける。誰かが笑えば誰かが泣くシステムも、生存の不安に苛まれる孤独も、ママゴトし続けるだけの人生も、そんな世界に子供をつくることも、被害者ヅラして加担することも、全部“しかたない”んだよな?

Aはタタタと階段を降りてリビングに入り、口を開きかけた両親の前にポンと書類を投げると、さっさと自室に戻った。誰のせいだとか、何が悪いとか、私の育て方とか、楽しそうだったのになぜとか、あの子の心がわからないとか、本当にどうしようもない。“せい”“私の”なんて言葉を自明に使っていることに改めてゾッとしたし、“育て方”“楽しそうだった”“あの子の心”なんて言葉が意味を持っていることが改めて滑稽だった。そしてなにより、何が悪いかわからないことが心底憐れだった。パニックに陥った二人がドタドタ階段を上がってくる音が聞こえる。

「バカは死ななきゃ治らない、他人が死んでも変わらない」

Aはクックと笑った。


何もかも全部アホくさい

朝目が覚めると力が入らない、起き上がれない
まだけっこう暑いなぁと思いながら、ボンヤリ天井をみつめる
子供は夏休みの終わりを嘆き、大人は夏休みの消失を嘆く
日常が再開したり、続いていたり、再開とみせかけて実はずっと続いていただけだったり

子供は眠い目をこすって早起きする、なんで?
大人がみんな眠い目をこすって早起きするから、なんで?
そう決まっているから、だからみんな自分が望まない時間に起きる、誰が決めたの?
みんなが嫌だと感じるような生活を嫌でも続けねばならないなんて、誰が決めたの?
あ~~アホくさい

大人たちは家族の生活のために毎日頑張っている
社会人たちは子供たちが生きる社会のために毎日頑張っている
子供たちは将来のために毎日頑張っている
子供たちは大人になって社会人になって頑張るために頑張っている
社会人たちは会社に向かい、子供たちは塾に向かう
頑張るために電車で参考書を開きながらリュックから潰れた菓子パンを取り出し頬張る、このために大人たちは頑張っている
塾の前には自転車が溢れている、このために社会人たちは頑張っている
頑張れない子供たち(頑張る遺伝子と環境に恵まれなかった子供たち)には惨めな貧困が待っている、このためにみんな頑張っている
誰のためにもなっていない社会を、何のためかもわからずに、自分の頑張りがマイナスをもたらしているのもわからずに、“プラスになっている”ということにして、今日もクルクル回すために、自分が望まない時間にクルクル起きて、行きたくもない場所にクルクル向かって、訳のわからない苦しみにクルクル耐えるんだって
あ~~アホくさい

子供たちは“みんなと一緒に社会で生きる力”を身に付けるため行事に参加する
“役割”を通して集団に貢献することの意味を学ぶんだって
つまり何か“役割”をみつけてそれにしがみつかないとこの教室では生きられないんだって
つまりいつも参加(してるフリを)して何かしてないとこの教室に居場所がなくなっちゃうんだって
だから“みんな一致団結して頑張ってる感”のわりに作業が進まないんだな
はぁ、なんでこんなことする必要あるの?
もちろん、大人たちが毎日頑張っていることがまさに“これ”だからさ!
だからこの世界に夢中になれないと大人になってから困るんだって、立派な社会人になれなくて困っちゃうんだって、この世界では生きられないんだって、この世界に居場所がなくなっちゃうんだって
あ~~アホくさい

これが“子供の仕事”とかアホくさい
これが“義務”とかアホくさい
こんな時間に目を覚まして起き上がるのアホくさい
朝飯食べるのアホくさい
歩いていくのアホくさい
電車に乗るのアホくさい
教室とかアホくさい
集会とかアホくさい
宿題とかアホくさい
“カリキュラム”とかアホくさい
“さんじかんめはさんすう”とかアホくさい
“お昼休み”とかアホくさい
“ごねんせいまでにおさえるべきぽいんと”とかアホくさい
“夏休み”とかアホくさい
“期限”とかアホくさい
“じゅうだい”とかアホくさい
“せいしゅん”とかアホくさい
“子供”とか“大人”とかアホくさい
「カネがない」とかアホくさい
“時給900円”とかアホくさい
“月収30万円”とかアホくさい
“年収1000万円”とかアホくさい
“教師”とか“上司”とかアホくさい
“社会人”とかアホくさい
“親”とかアホくさい
“家族”なんて分断された脆弱な密室でしかないのに“愛”とか“絆”とかアホくさい
“(分割された孤独な個体同士の)人間関係”とかアホくさい
“責任”とかアホくさい
“常識”がどうとかアホくさい
“自分の人生”とかアホくさい
妄念の集積が“現実”とかアホくさい
楽しむ素直に恋愛スポポポポーンとかアホくさい
「素直に頑張って真面目に健気に目の前の現実を生きてる奴が一番かっこいい」みたいな自己正当化のその場凌ぎ紋切り言葉がアホくさい
“自分”の周りで完結させて“その結果”に目がいかない様がアホくさい
アホくさいことをアホくさいと思いながらやら“ねばならない”のがアホくさい
アホくさいことをアホくさいと認識してしまったらアホくさくてできなくなっちゃうのにやら“ねばならない”から気力を振り絞ら“ねばならない”のもアホくさいしやらずに“負け組”に押し込まれるのもアホくさいしそれが嫌だからといってアホくさいことをアホくさいと認識しないようアッパラパーな集団妄想に身を委ねて現実を塗り潰すのもアホくさい
生きるのがアホくさい
死ぬのもアホくさい
アホくさい狂人共が苦しみながらクルクル回すアホくさい世界に殺されるのもアホくさい
アホくさい狂人共が苦しみながらクルクル回すアホくさい世界に同調してアホくさい狂人として生きるのもアホくさい
あ~~も~~何もかも全部アホくさいワ


“障害者”も働ける社会は豊かな社会か

「賃金奴隷制に順応した奴隷たちは相変わらず人間を働かせることばかり考えているね」

「最近は障害者の雇用にスポットが当たったね。省庁が障害者の数を水増ししていたとか」

「障害者を雇用せよと言ってる連中がこれだもんな。もっとも、連中にそう言わせているのはマジメで善良な賃金奴隷の国民様なんだがね」

「補助金や助成金を直接配れと言ったら怒る」

「そうしないことによって、障害者の雇用を支援するシゴトだの、雇用にまつわるトラブルに対処するシゴトだの、管理するシゴトだの、またクソシゴトが増殖し、そのクソシゴトが別のクソシゴトをうむ」

「クソシゴトに群がる寄生虫にとってはこの風潮は有り難いことだが、寄生虫にさせられる人間にとってはこの風潮はたまったもんじゃない」

「厄介なのは自分が寄生虫である自覚が無いことだね。クソシゴトが“必要な仕事”である理由や根拠やストーリーは知能の高い奴隷によって説得的・論理的に創りだされる、これ自体もクソシゴト。一度“必要”“やらねばならない”となったら本当に“そういうこと”になって、“そういう世界”から出られなくなっていく」

「本来であれば“障害者”だろうが何だろうが、労働需要があってその人間に需要を満たす能力と意志があるなら働いてくださいという単純な話。要するにやることが無いんだよな。労働需要が無い。それでも毎日8時間働いて賃金を稼がないと生きていけないシステムに執着するから、高度なおシゴトが創出され、高度なスキルを身に付けてそれに適応できる“健常者”とできない“障害者”が創出される。恵まれた雇用のイスに座って生活できる“優秀な人材”と座れず生活できない“無能な落伍者”が創出される。“誰にでもできる仕事”などといった蔑視が創出される」

「“自立した生活”をかけて限られた雇用のイスを奪い合うバカバカしいシステムではなく、座れなかった方のせいにするから、“障害者”やら“非正規”やら“ひきこもり”やら“ニート”が問題になって、“自立”やら“成長”やら“社会参加”やらを“支援”するクソシゴトが・・・・・・」

「保護イスに座る上級奴隷のお賃金を確保するために収奪され切り捨てられた人たちが悪者にされている。まぁ鞭打って働けと言っているのは善良な国民様だけどね、じゃああんたらは毎日マジメに会社に通って何してんだよって話」

「さてあなたが日々励んでいるのは必要な仕事でしょうか、それともでっち上げシゴトでしょうか、シゴトのためのシゴトでしょうか、シゴトのための・・・・・・シゴトでしょうか、シゴト生活を支えるシゴトでしょうか、シゴトに励む奴隷を支えるシゴトでしょうか。“何かいいことをやっている”ことになっているだけで、実際はよくて“何もしていない”んだな。確保した雇用のイスに応じて発生する役割をフルタイムでこなしてイスに付随する賃金をいただく、という人生をかけた壮大なママゴト。高度なスキルを駆使して中間搾取の片棒担ぎ。役に立っている貢献している必要とされていると言い張ってカネを奪い合う、という人生をドブに捨てる不毛な競争。優秀なアタマを駆使してペテンの片棒担ぎ」

「フルタイムのママゴトやペテンができないなら“障害者”、アホくさ。社会的に8時間働く必要があるから8時間働くのではなく、個人的に8時間働かねばならないから8時間働く、“そう決まっているから”8時間働く。やることがなくても働かねばならない、必要がないなら“必要”をでっち上げねばならない、シゴトを増やす。働かないと生きていけない、しがみつく、シゴトを減らす力が全く働かないからシゴトが増え続ける。やる必要のあることがなくなればなくなるほど、その穴を埋めるためそれ以上のシゴトがうまれる」

「障害者の雇用が職場環境の改善につながる!みたいな主張もやることがないから出てくるんだろうね。雇用させるためにこんな理屈をこねなきゃならないわけで」

「やることがなくてシゴトしてる所に障害者を入れてシゴトを増やしてシゴトをさせて、何がどう職場環境の改善になるんだ。障害者が働きやすい職場は他の労働者にとっても働きやすい職場って、無意識に“障害者”を下に見てるんだよな。まぁシステムの順応者にとっては至極当然の認識なんだろうがね」

「○時間労働とか環境改善とか言ってる時点でやることがないんだよ。労働時間を決めるのは必要の大きさや緊急度だし、余計な力が働かなければ当人たちは自発的に職場環境を改善するだろ、外部からテコ入れするまでもなく。需要があってやる必要があるなら“やるしかない”から、とりあえず労働時間とか環境改善とかどうでもいいし、負担軽減に協力してくれる相手が“障害者”かどうかもどうでもいい。過労死?働きすぎ?それが問題だと思うならまずでっち上げシゴトと制度・規制が創るシゴトに目を向けてくれよ」

「温床となっている奴隷制に目を向けてくれよ」

「奴隷制を熱心に支持している自分と国民様に目を向けてくれよ」

「働きたい障害者が働ける社会を!と言っても、(社会的な必要がなくても)誰もが働かねばならない“設定”になってるだけだし、もし働きたいなら“障害者”がどうこう以前にあなたのやりたいことや自己実現欲求と労働需要(他人や社会の必要)は何の関係もありませんって話だし」

「ママゴトの仲間外れにするな!じゃなくて、ママゴトとママゴトを“しなければならない”システムに矛を向けてくれよ」

「全員が働かなくても必要が満たせる、やることがなくなるって本来喜びでしかないはずなのにね。カツカツの状態なら全員総出で人生の大半を費やして“できること”に励まねばならない、“障害者”も“ニート”も“高齢者”もみんな働ける、だから技術や知識やインフラの崩壊でも望みますか?」

「進歩してモノやサービスが溢れたって恩恵を享受できないなら意味がない、“豊かな社会”でもなんでもない。だから労働市場から退出できる人にはさっさと退出してもらわないと困るのに、実際には真逆の力が働くシステムに執着し、“障害者”だの“ニート”だの“社会参加”だの“自立”だの押し戻すことばかりしている。生存を人質にとるわ収奪するわ“支援”するわ道徳的に非難するわ」

「システムに順応して働きたいと言っているなら豊かさの実現を阻害する反社会的行為でしかないし、そうでないなら相手の必要とあなたの能力・意志次第ですって話でしかない。まぁこういう欲求もママゴトせねば生きられない(生きることを許されない)システムの産物だと思うがね。なんにせよ、このシステムに執着し続けるかぎり永遠に豊かになれませんよ。“障害者”も働ける社会なんて、豊かな社会どころかただの地獄です」


夜の住宅街

夏の夜とはいえ、日没から数時間もすればそれなりに涼しくなる
快適とまではいかないものの、妙に心地良い生暖かい風
足元をクリアに照らし等間隔に並ぶ街灯、小さな影セミの死骸、大きな影黒いネコ
無造作に並ぶゴミ袋、カサカサ擦れる音、ガサガサ何かが蠢く音

誰もいない、それでも稼働し続ける自動販売機、群がる小さな虫たち
風に運ばれてくる音、国道を走る車の音、踏切の音、周りの音、自分の足音
静寂、ヒトの気配がない住宅街、存在を示す窓の明かり、排水が流れる音
みんないるはずなのに、誰もいない、不穏

ハァハァという息遣い、夜のランナー、フードを深く被り表情を隠している
微かな靴音、帰宅を急ぐサラリーマン、スマホを耳に当て「すみません」と呟いている
ひゅんひゅんという車輪の音、自転車乗り、足だけが機械のように回っている
威圧的なヘッドライト、狭い道をいく運転手、つまらなそうにハンドルを握っている

昔からある木造住宅、建築ラッシュの産物たる今風の家々、境界には保育所
家の数以上のヒトが回り、家の数だけの生活を営んでいる
掘り返されている最中の広大な土地で待機しているショベルカー
ここにもまた新しい家が建ち、その数だけの生活が営まれることになる

小綺麗に整備された道、規則的に配列された植物
これみよがしに駐車してある高級そうなピカピカの自動車、一家に一台以上
数千万円のマイホーム、数百万円のマイカー、“みんなの夢”のモデル街
命を換えた密閉から時折漏れる怒声や赤ん坊の泣き声、“夢”の放つ光が闇に点々と続く


プロフィール

遊民

Author:遊民
読みたい本が山積みなのでニートしてます。

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